ちょんまげを通して次のグローバル・スタンダードへ | 「僕はずっと山に登りたいと思っている。……でも明日にしよう…」 残念ながら、おそらくあなたは永遠に登れないでしょう。

ちょんまげを通して次のグローバル・スタンダードへ

 グローバリゼーションという単語も国際化に取って代わって随分浸透してきているようだ。確かに世界は情報通信網の発達により全体化・画一化が進行している。企業だけでなくプロ野球界でも合併、再編が進み、日本の国技である相撲においても外国人力士の活躍がめざましい。外資ならぬ外「士」の流入だ。と、いうか骨格が違う人種同士で同じ土俵上で相撲を取るのはどうなのか・・・せめてアジア限定では・・・。しそれにしても大至氏があれほど唄がうまいとは本当に驚いた。琴の若はマジで男前だ。琴欧州の四股名には少し無理があるのではないか。闘牙のもみ上げは高見山以来の逸材。重要文化財。高見盛は実に好感が持てるが立会い前のパフォーマーとして水戸泉を超えられるかどうかはこれから見守っていきたいところだ。

 相撲という伝統を重んじる世界では、どこの文化に属していようとも、インタビューに応じることが出来る程度の日本語力は強制的に身に付けなければならない。イチロー、サブローというカタカナ表記の登録名はまずありえないだろうが、これだけ新しい力士が日々登場している中、ネタ切れによる規制緩和の危険性を、筆者は憂えている。

 情報が多くなると違った価値観を手に入れることができるが、はたしてこの事が与える影響はどういう結果を生むのか…?以前は価値観というものは地域、文化、つまり環境によって規定されてきたものだ。しかし他の価値観を知って「しまう」ことで罪のない人間が多数殺戮されうることはとても哀しいことである。時代の転換期というものはいつでも小泉さん的にいうと痛みを伴うものだ。これは歴史を振り返ると一目瞭然。現在世界においてはその変化があまりにも急激で、常に脳内をアップデートしていくもののみが生き残り富を築き…



「もう はじまっているからね」




 大友克洋 原作「AKIRA」 のエンディングでの言葉だ。AKIRAが製作されたのは15年ほど前であるが実に含蓄のある言葉だ。読んだことがない方に少し説明すると、これは北斗の拳みたいな話である。とだけ伝えておこう。是非読んでください。

与えられるだけの未来ではなくて、自分たちが選ぶことによって具現化していく未来もある。



そう、私たちは選び抜いていく。