円卓の中の回帰

小学生の頃は横浜近くに住んでた。
中途半端に出来上がった新興住宅街の中の
忘れられた様にあったトタンの平屋が2件。
忘れられた様にあったトタンの平屋が2件。
そのうちの一軒が私んち。
テキトーに貧しく、テキトーに普通に生きていたと思う。
当時母は中華街のとある店で働いていた。
だから母の妹の婚約のお祝いの時、母のお店で。となったんだろう時、
当時一張羅はなかったが、常に母が洋服を作ってくれていたので
私は母の縫ったブラウスと黄色のショーとパンツを着て
お祝いに連れて行かれた私を思い出しいろいろな状況から
テキトーに貧しく、テキトーに普通に生きていたと思う。
当時母は中華街のとある店で働いていた。
だから母の妹の婚約のお祝いの時、母のお店で。となったんだろう時、
当時一張羅はなかったが、常に母が洋服を作ってくれていたので
私は母の縫ったブラウスと黄色のショーとパンツを着て
お祝いに連れて行かれた私を思い出しいろいろな状況から
“これは母の開いた妹のへのパーティーだ”
と推し量った。
お祝い当日。“マンカロウ” という母の働くお店の個室には真っ赤な丸いテーブルがあり、
そのテーブルの真ん中にまた丸い真っ赤な小さいサイズのテーブルがあった。
その時は知らなかったがこれが円卓ってやつだ。
そこに当日の主人公である母の妹と婚約者を囲んでたくさんの料理が運ばれてくる。
大人は大人の会話をしてる中、どんどん、どんどん料理は来る。
お祝い当日。“マンカロウ” という母の働くお店の個室には真っ赤な丸いテーブルがあり、
そのテーブルの真ん中にまた丸い真っ赤な小さいサイズのテーブルがあった。
その時は知らなかったがこれが円卓ってやつだ。
そこに当日の主人公である母の妹と婚約者を囲んでたくさんの料理が運ばれてくる。
大人は大人の会話をしてる中、どんどん、どんどん料理は来る。
当たり前だけど名前は知らない料理。今はたくさん知ったけど、
当時は始めて見るばかりの料理が永遠と思うほど大量に運ばれてきた。
早く食べないと。早く食べないとだよ?
小さな私は目配せをするが、誰も私を見ないで主人公である妹に夢中なのだ。
円卓だったので母に「あれが食べたい」と言わないでも回して手に届く。
誰も回してない時にそっと回せば自分のトコロに好きなものが来る。
私は一通り箸をつける。母を見る。怒らない。
だから今度は好きなものを手繰る。母を見る。笑ってる。
きりっとした男の人がスープはいかがですが?と運んでくる。
そしてまた母を見る。
何も言わないので ”下さい” と頼むと、
何も言わないので ”下さい” と頼むと、
かちんかちんとお皿とレンゲの音をさせてスープが注がれていく。
私はとっても大人になった様な気分で背筋を伸ばし、
目の前にスープが置かれるのを楽しみに待った。
スープが置かれたらすぐに子供に戻って猫背ですするように食べた。
4つ柱には金の昇り竜。朱色の壁と落ち着いた真っ赤な円卓。
その上にはたくさんのご馳走。
母はこんなお城みたいなところで働いてる。
そう思うと、ここに招待できた母の笑ってる横顔が主人公の妹よりもきれいに見えた。
さっきから目もあわせてくれないくらい妹の誉れに忙しい母だけど。
たぶん人生で始めて家族を誇らしく思った瞬間だった。
スープが置かれたらすぐに子供に戻って猫背ですするように食べた。
4つ柱には金の昇り竜。朱色の壁と落ち着いた真っ赤な円卓。
その上にはたくさんのご馳走。
母はこんなお城みたいなところで働いてる。
そう思うと、ここに招待できた母の笑ってる横顔が主人公の妹よりもきれいに見えた。
さっきから目もあわせてくれないくらい妹の誉れに忙しい母だけど。
たぶん人生で始めて家族を誇らしく思った瞬間だった。
笑い声が上がる。
私もその時は合わせて笑う。
そうしてるとみんなの一員になりすませた気分だった。
私の母の計らいで叶ったすばらしい会の一員になれた気分だった。
内容なんかわからない。
けど歓声はチラチラ上がる。
赤い円卓がピカピカと燃え上がってくる。
主人公の幸せさが。
母の美しさが。
母の美しさが。
みんなの笑い声が
益々この円卓を
並んでる料理の数々を燃え上がらせて
真っ赤が飽和していく。
笑い声ともに。
消えることないんてない様に飽和して
赤い紅い世界だけ・広がる。
“まだ食べるの?”
突然飛んできた母の声がした時、
自分の口よりも大きい餡のしたたる唐揚げにかぶりついた時だった。
死ぬほどおいしかったから。
誰かに言われるまで食べ続けたかもしれない。
母の声で現実に還ってお腹がいたいのに気が付いて来た。
明らかに食べすぎは当たり前でとりあえずトイレに行った。
・・・・後はご想像にお任せ致します^^
死ぬほどおいしかったから。
そして母が誇らしかったから。
それから。
年月が経ち、横浜から引っ越してしまってもっと貧乏になった時も母は街の小さな中華屋に
私たちを連れて来てはエビチリと中華風コーンスープを食べさせてくれた。
そしてその度に私は
「 あそこのお母さんが働いてた所のコーンスープはおいしかったね。」
と決まって言っていた。
本当は、ただあの時の“マンカロウ”での母に感謝と尊敬を述べたかったんだけど・・・
本当は、ただあの時の“マンカロウ”での母に感謝と尊敬を述べたかったんだけど・・・
あの時の事を覚えていて感謝してますと言いたかったけど・・・
もう知っていた。
派手に見えたけど、あそこは中華街の中の名も知れぬ小さなお店だったって事。
母が招待したのではなく、お祝いでみんなでお金を払ったって事も。
私がその店のコーンスープを褒めると決まって母はこう言った。
「 でもエビチリはここの方がおいしい。いい所をみつけたわ 」
母は、そういうヒトなんだ。
過去になんか拘らない、今だけ生きる人。
必死に生きてきた人。
だからつまらない事が素敵な人。
現在、私はよく中華街に行く。前はお正月近くに毎回行っていた。
時に友達と行く時もある。彼の時もある。
実はそんな時もこっそり母の店を探してる。
見つかったためしはないけど“ マンカロウ ”という屋号の記憶だけで探してる。
私の夢は円卓で食事かもしれない。
人生で一番おいしかったものと言えるのはあの時最後にかぶりついてたから揚げなのかもしれない。
私の贅沢と思うすべてが “ マンカロウ ”にあるのかも知れない。
もし、横浜の中華街に行ったとき、
“ マンカロウ ”を見つけられた方は 個室を覗いて見てほしい。
きっと まだ私の幼き生霊が最後の唐揚げにかじりついてる所を目撃してくれるだろうと
想像すると、あの時のおいしさが蘇るようで幸せです(*´ェ`)