伊東歌詞太郎です。


明るい話ではないので、
不快になってしまったら途中でやめてくださいね。
きっと他の記事を読んでくれた方が明るい気分になれます。





こういうことを書くかどうかずーっと迷っていたんですが、
悩んでしまっていたので、書いてこれっきりにしようと思います。



僕は、ライブやイベントでいただいた手紙を読んですごく感動したり、
歌っててよかったな、と思ったりするんです。

疲れていても、寝る前に読んで元気になってぐっすり眠れたりします。



僕にはものすごいおせっかいな友人がいます。

どんなおせっかいかというと、
僕の代わりにネット上で僕の評判を検索し、
悪かった時だけ報告してくる、というものです(笑)。


彼は昔、
僕が神奈川県で路上ライブをやっていた時に支えてくれていたスタッフです。

もうね
何回もそれはやめてくれとちょっと怒り気味に言ってるのですが、
ぜーんぜんやめない。でも、本当にいいやつなんですよ!!!!



僕は自分の名前を検索することはほとんどしないです。
もちろん怖いから。

まぁ、彼はだったら自分がやってやろうという気持ちでいるんでしょうかね!
もしかしたら、面白半分かもしれませんね!


一年くらい前から、
「お前、Twitterでかなり悪く言われてるぞ」
というようなことをたまーに言ってくるんです。


悪く言われるのは当たり前だから仕方ないじゃん、
それよりもその報告をお願いだから今後マジでやめてくれ、
って言ってたのですが、
2週間前もまーたそんなこと言われたんです。



だからやめろよって言ったのですが、
今回ははじめて、tweet主の具体的な名前を言ったんです、彼。

僕は耳を疑ったんですね。

その人の名前は、僕が良く知っている名前だったんです。

なぜ覚えてるかというと、
手紙をよくくれる人だからです。
ツイッターでもリプライをよくくれる人。

その人からの手紙もリプライも、いままでめちゃくちゃ励まされてきた。

そんなわけないだろうと信じられなかったので、
彼に上記の事情を説明して、それはおかしいといったのですが、
もうね、彼はね準備してた(笑)。


ツイート見せてくるんです。


すっごいショックでした。


それは一人じゃなったし、
よく手紙をくれる回数が多い人ほどそういうことを書いていた。

僕がすごい落ち込んでしまったので、
彼はフォローのつもりでいってくれたんだろうけど、
「けなし愛、だからしかたないよね?そう書いてあるし」と。



けなし愛、というのはいったいどういう意味なんだろうって、
ここ2週間ずっと悩んでしまいました。
僕にはまだ考えてもわからなかった。


なんですか、けなし愛って。

愛があれば悲しいことを言ってもいいのだろうか。

Twitterって自由に見られるものですから、
あんなことをいろんな人が見てたのかと思うと、悲しいです。

毒舌って、
ただの悪口ではないのでしょうか。
なぜそれがいいと考えるのかわかりません、僕には。


最近、自分の中にあるものを曲や歌、そのほかの形にすること、
もしくはライブでぶつけるということにすんごい没頭してて、
本当に本当に幸せだったんです。


だから真面目にやればやるほどばかにされてしまうのかな?と悩みました。


沢山手紙くれてるってことは、その人からの文章を
何回も僕は読んでいる。そのたびすごいうれしかった。
でも、実はそうじゃなかったのかな?と思うと悲しくて悲しくて。



いったい誰ならば本当のことを言っているのだろうか、
そんなことを考えてしまい、
ツイッターのリプライ、
そして手紙を見るのをやめようと考えてました。今日の朝までは。


でも、
僕は間違うところだった。
僕のことを悪く言ってるのは、10人かもしれないし、100人かもしれないし、
もしかしたら1000人かもしれない。

でも、それだけじゃない。
気持ちのこもった手紙やリプライもぜんぶ切り捨ててしまうのは、
僕はできることではないな、と思いました。

だから、今まで通りです。
どんなものも読む。


このブログ見てるほとんどの人は関係ない話なのに、
申し訳ないです。

これっきり、です。