では現在の韓国の学会が全面的に推している、史書「三国遺事」に登場する「檀君王倹(だんくんおうけん)」の文献を要約して出生から始めましょう。


そのまえに以前の記事で申しましたが「三国遺事」の成立年は推定で13世紀末期。つまり西暦1200年代後半です。


はるか昔、桓因(これは帝釋天(たいしゃくてん)とされています韓国史では)が息子・桓雄(ハモス)に天上界では無く地上に住み人間の数を増やせと命令し、桓雄(ハモス)は桓因(帝釋天)から天符印(神の子供の証)として鏡・剣・鈴を授かり
3000の下級神を率い白頭山に降臨。人間の数を増やそうとしていると虎と熊が人間になりたいと訴え、ヨモギ1握りニンニク20個を与え  「コレを食べて太陽の光を100日間浴びなければ人間になれる」と解慕漱は云ったので虎と熊は実行します。
虎は挫折し人間になれませんでしたが、ナゼか100日でなく21日目で熊は人間の女性になれ、桓雄(ハモス)は熊女と夫婦になり檀君が誕生しました。


◆檀君が帝釋天から頂いた天符印(神の子供の証)として鏡・剣・鈴・・の所で「ん?」と思った方もいるでしょうが、似てますよね日本の3種の神器鏡・剣・勾玉と。


日本書紀や古事記が編纂される以前から、三種の神器はありまして、その神器の存在も朝鮮人は知っていました。


なぜなら当時の朝鮮の使者(新羅国 の新羅人)「道行(どうこう)」が西暦668年、神器・草薙の剣を熱田神宮から盗んだ事件が記録されているからです。新羅族の王族の末裔と言われ、犯行時は僧侶だった道行の犯行の動機はその神器を盗んで新羅に持ち帰り新羅の物にすれば、その神通力で新羅が強国になることができる・・となっています。



あれ?仏像を日本から盗み出して返さない事件にソックリな事を1300年も前に既にやってたみたいですね。


草薙の剣を盗んだ道行は熱田から名古屋ほうに出て大阪に来たあたりで嵐になって「これは盗んだ天罰だ・・・。」と大阪でビビって剣を捨てて、自首をしました。


その道行が草薙の剣を捨てた場所が 大阪の鶴見区の放出(はなてん)です。放出は「ほうりだす」と言う意味で、この盗難事件以来、ここはハナテンと言う地名になったわけです。


史書「三国遺事」は編纂時期が西暦1200年代末期ですから、「 当然、盗むくらいですから日本の三種の神器の話を知っていて当然。 」と考えるのが妥当です。



◆帝釋天と聞いて「ん?」と思った方もいるでしょうが、帝釋天は帝釈天で、浅草の浅草寺(せんそうじ)のアノ帝釈天様と同じです。
帝釈天はインドにおいてはインドラと呼ばれる天を管轄する神のリーダー的存在で、部下に毘沙門天・広目天・増長天・持国天と言う「天界の4方向を監視する神」のリーダーです。

天帝ですが元はインドの神なので、道教における天帝とは違い、最上神ではありません 道教における天帝は最上神ですが。


つまり壇君王倹はインドラの孫・・となるのですが、帝釈天に息子・桓雄(ハモス)がいた記録は一切ありません。(笑)


桓雄(ハモス)は太陽神ですが

当時中国の「後漢書」に記録されている「扶余族(プヨ族)」がいただいていた神に解慕漱(ヘモス)という太陽神がいます。

桓雄(ハモス)に解慕漱(ヘモス)です。解慕漱(ヘモス)に関してはまた後で書くとしましょう。



そんな壇君王倹は帝釈天の孫で桓雄(ハモス)の息子だったせいか生まれてから、つぎつぎすごいことをやってのけ、国を打ち立て、1500年統治して2000年近く生きて、
それを根拠に「ウリナラの歴史は半万年!」と今の韓国人が胸を張る「歴史の背骨」として、存在しています。


個人的には「え?・・それで半万年ですか?」です。