東アジア反日武装戦線 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 約50年前に起きた連続企業爆破事件の重要指名手配犯の桐島聡容疑者と名乗る人物が現れました。

 

 警察の捜査が実って逮捕されたのではなく、本人が病院で自分が桐島聡であると名乗って、病院関係者が警察に通報してといった経緯で、本人は末期癌で余命数ヶ月とのことですから、公判まで生存している可能性は殆どないと思われます。

 

 警察の知らないところで死んでしまっては、永久に指名手配犯のままなので、死ぬ直前に姿を現して世間をあっと言わせてやろうといった魂胆のように思われ、逃亡戦に関しては桐島聡氏の完全勝利といった感じになっています。

 

 桐島聡氏は東アジア反日武装戦線のメンバーでした、この組織のことについて詳しく触れても今になっては意味がないのですが、この組織の名に出て来る「反日」が、日本人が始めて「反日」という言葉を使ったものでした。それまで外国では反日運動はありましたし、反日主義者という人たちもいましたが、日本人が「反日」という言葉を使うことはなかったのです。

 

 70年代前半ですが、このころになると、敗戦から立ち直った日本の資本はアジア諸国に進出するようになってきていて、アメリカの意志で作られた反共政権と癒着して、その国の公共事業に参画して利権を手にして行くようになります。

 

 東アジア反日武装戦線は、日本資本に収奪される東アジアの大衆と連帯して、武力によって帝国主義に戻りつつある日本を打倒しようとしたものであり、この人たちにとっては、「反日」は自らの政治的な立場を示す誇らしい言葉でした。

 

 ところがネトウヨが登場する2000年頃から「反日」という言葉の使われ方が真逆になり、自分たちが反日武装戦線などと名乗るのではなくて、政治や社会に対する意見が異なる相手を貶める言葉として用いられるようになり、ネトウヨが気に入らない相手を一言で否定する言葉として、「反日」が使われるようになります。2009年に民主党政権が成立すると、反日極左政権とネトウヨたちから呼ばれることになります。

 

 自分たちから「反日」と名乗る政治勢力は消滅して、誰も彼もが、「反日」と言われないことに汲々としている情けない世の中になってしまいました。