国号 | 夏炉冬扇の長袖者の尉のブログ 

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 伊藤浩士先生の小日本秘史・時々掲載予定 第22回 国号 

 

 702年の遣唐使船が楚州の塩城県に漂着したときに、日本国の使いと言っても地元の役人に通じなかったという話があります。この使いは長安の都に行っても、どうして日本なのかといった質問を唐の役人たちからぶつけられますが、その答えは曖昧でした。日本人の得意な笑って誤魔化すといったことをやっていたようです。

 

 唐の役人たちは、日本は倭が名を変えたものか、日本なる国が以前からあって冊封を受けていた倭を滅ぼしたものなのかと質問するのですが、日本の使いはどちらであるかを明確に言わなかったのです。

 

 倭五王が中国の南朝に朝貢したことは記録に残っていますが、倭で冊封を受けていたのであれば、無届けで国号を変えることはできません、唐としては叱責して、場合によっては元に戻せと命じることもあります。日本が倭を滅ぼしたのであれば、これは政権の交代であり国号の変更は認められますが、倭が得ていた国際的な立場を日本が引き継ぐ許可が必要になります。

 

 実際には勝手に国号を変えたのですが、それを言うと叱責されるので有耶無耶にしようとしていたのです。

 

 倭の字には、従うさま、従順なさま、という意味の他に、小柄な人びと(矮人)との意味もあって、名は良くないので、日の出るところに近いので日本と改めたという説が「旧唐書」に載っていますが、国号を変えて来た日本側の意識はそんなところだったでしょう。

 

 唐は笑って誤魔化す日本の使節のやり方を認めて、あっさりと国号の変更を認めます。中国の王朝は一文字で、蛮夷の国は二文字かそれ以上というのが常識で、高句麗、新羅、高麗、越南、大理、突厥、匈奴となっているなかで、倭のみが一文字で、その上に生意気に人偏まで付いている、どうしてあの国にだけそんな国号を古い昔に付けてしまったのか、唐にはそんな気分もあったのです。そこへ二文字の日本に変えてきたのですから、変更理由をとことん追求する必要はないとなってしまったわけです。

 

 大陸の東の果てにある朝鮮は、朝日が鮮やかという意味です、日本の国号は朝鮮の類似品であるといえますから、それならば変わっても問題なしとなったのです。

 

 唐からすれば倭の国号の方が蛮夷の分際に過ぎたものであったのに、田舎者の日本人はそれが分からず、こっちの方が良いとして変えたというのが実際のところではなかったのかと思われます。