2026年9月11日、芦屋市民センターで開催された、春田博之先生・佐藤宏道先生のオープン講座「こころをアートで表現する」を聴きに行ってきました。

きっかけは、澄川流一門の澄川白舟師匠からのお誘いです。

講師のお一人である佐藤宏道先生は白舟師匠とのご縁があり、過去にも何度か私たちの落語会へ足を運んでくださっています。

今回は佐藤先生が講師を務められるということで、芦屋まで足を延ばしました。

会場には105名が参加。

美術、脳科学、心理、そして人間の「見え方」や「感じ方」まで、いろいろな分野が交わる興味深い講座となりました。

 

春田博之先生「アートから見える心のカタチ」

前半は「芦屋こころとからだのクリニック」院長、春田博之先生の講演です。

タイトルは、

「アートから見える心のカタチ 巨匠たちの見た世界 ~ピカソやゴッホの画風から紐解く『空間認識の不思議』」

でした。

春田先生の話でまず印象に残ったのが、ご自身の体験です。

小学生の頃、転倒した後にメニエールの症状に苦しむようになり、「これを何とかしたい」という思いから脳神経の道を志したと話されていました。

現在のクリニックでも、心と身体を切り離して考えるのではなく、両方を見ながら診療することを大切にされているそうです。公式サイトでも、心身を表裏一体のものとして捉え、東洋医学的な診察や色彩心理的なアプローチなどを取り入れていることが紹介されています。

そして講演は、人によって「世界の見え方そのものが違う」という話へ進んでいきました。

「できない」の裏側には何があるのか

特に会場が引き込まれていたように感じたのが、ASDと診断され、生活に大きな困難を抱えていた19歳の患者さんの実例でした。

肥満があり、ほとんど話さず、反応も乏しく、強いまぶしさを感じるため外へ出ることも難しかったそうです。

そこで春田先生は、その方が「何ができないのか」だけではなく、「本人には世界がどのように見えているのか」というところから探っていきます。

色のついた眼鏡「イノチグラス」を使うことから始まり、徐々に外出できるようになったそうです。

さらに診察を進める中で、平衡感覚や空間認知に特徴があることが分かってきます。

たとえば、ピザを3等分することが難しい。

人との距離感をつかみにくい。

レストランでアルバイトを始めても、お客さんへ声をかけるタイミングや、複数のお皿を運ぶときのバランスがうまく取れない。

そこでバランスボードを使ったり、屋外で凧の動きを目で追ったりするなど、空間の認知能力に働きかける練習が紹介されました。

そして、さらに興味深かったのが「曲線」へのアプローチです。

小さい頃はピッチャーとして真っすぐな球を投げられていたものの、変化球になるとうまくいかなかったことなどから、春田先生は「曲線を捉えることが苦手なのではないか」と考えたそうです。

そこでフリスビーなどを使い、曲線の動きを追う練習を取り入れました。

すると、日常生活での人への声かけのタイミングなどにも変化が現れたという話でした。

空間認知へのトレーニングや、曲線を意識したアプローチによって生活上の困りごとが大きく改善していったという実例に、参加者の皆さんも熱心に聞き入っている様子でした。

講演ではIQの数値にも変化があったことが紹介され、春田先生からは「発達障害という言葉から、“障害”を取ってもいいのではないか」という趣旨のお話もありました。

医学的なことなので、ここで私がその効果を判断することはできません。

ただ、「できないから仕方がない」で終わるのではなく、その人がどこでつまずいているのかを探し、別の方向からアプローチしていくという考え方には、とても興味をひかれました。

春田先生自身も「見え方」に悩んでいた

さらに驚いたのは、春田先生ご自身にも「文字が浮き出して見える」といった視覚上の困りごとがあったという話です。

講演ではアーレン症候群についても触れられ、春田先生自身はイノチグラスを使用することで症状を克服し、現在はグラスを使用しなくてもよくなり、ご本人の言葉では「完治した」と話されていました。

幼い頃のメニエールの経験から始まり、自分自身の「見え方」の問題を経験したこと。

そうした体験が、不登校や発達の問題などで困っている子どもたちを「放っておけない」という現在の診療にもつながっているようでした。

ピカソ、ゴッホ、佐伯祐三は世界をどう見ていたのか

そこから話は一気に美術の世界へ入っていきます。

ピカソ、ゴッホ、佐伯祐三。

誰もが名前を知っている画家ですが、春田先生はそれぞれの画風を「空間をどのように認識していたのか」という視点から読み解いていきました。

講演では、

佐伯祐三を「2次元」

ゴッホを「3.5次元」

ピカソを「4次元」

といった独特の表現で捉えていきます。

ピカソの作品では、一つの対象をいくつもの方向から見たかのような表現があります。

ゴッホには、風景そのものがうねっているように感じる作品があります。

佐伯祐三の作品では、建物の壁やポスターなど、平面的なものが強く意識されています。

 

もちろん、過去の画家の医学的状態を作品だけから診断するという意味ではありません。

「もし、その画家には世界がこのように見えていたとしたら?」

そんな視点を持って絵を見ることで、作品の見え方がガラッと変わります。

絵を「上手い」「きれい」で見るのではなく、

「この画家には、世界がどう見えていたのだろう?」

と考える。

これまでとは違った絵画の楽しみ方を教えてもらったような気がしました。

佐藤宏道先生「アンドリュー・ワイエスの世界」

後半は、大阪大学名誉教授の佐藤宏道先生による「アンドリュー・ワイエスの世界」です。

佐藤先生は人間の視覚と脳について研究されてきた方です。

2011年には日本テレビ「世界一受けたい授業」に出演し、脳が目から入ってきた情報をどのように補い、「見える世界」を作っているのかについて紹介されています。番組では、同じ色が周囲の明暗によって違う色に見える現象なども取り上げられていました。

そんな「見ること」を研究してきた佐藤先生が取り上げた画家が、アンドリュー・ワイエスです。

二つの土地を描き続けたワイエス

アンドリュー・ワイエスは1917年生まれのアメリカの画家です。

主に描き続けたのは、故郷であるペンシルヴェニア州チャッズ・フォードと、夏を過ごしたメイン州クッシングでした。

あちこちへ題材を探しに行くのではなく、自分の身近にいる人と風景を何十年にもわたって見つめ続けた画家です。

2026年に日本で開催されている「アンドリュー・ワイエス展」の公式サイトでも、ワイエスはよく知る人や近隣の風景を単なる記録として描くのではなく、「自らの心に響いたある瞬間」を作品にしたと紹介されています。

佐藤先生のお話を聞いていると、同じ場所を描き続けたからこそ、そこに住む人の人生や時間の変化まで絵の中に入り込んでいるように思えてきました。

『クリスティーナの世界』

そして、アンドリュー・ワイエスを代表する作品が、1948年に描かれた『クリスティーナの世界』です。

広い草原。

その中に横たわり、遠くに建つ家を見つめている女性。

女性の名前は、アンナ・クリスティーナ・オルソンです。

彼女は歩行が困難になっていましたが、車椅子を使わず、腕の力を使って地面を移動していました。MoMAでは、原因について「退行性の筋疾患」と説明し、ポリオだった可能性にも触れています。確定診断が残されているわけではないため、病名については諸説があります。

 

ここで佐藤先生のお話の中で、とても興味深かったことがあります。

ワイエスが実際にクリスティーナの背後に立って、この光景を見たわけではないということです。

ワイエスはスタジオの窓から、クリスティーナが草原を移動している姿を目にしました。MoMAの解説でも、その窓から見た光景が作品のきっかけになったとされています。

しかし完成した『クリスティーナの世界』では、私たちはクリスティーナを背後から見ています。

つまり、

窓から見た実際の光景を、そのまま描いたわけではない。

 

佐藤先生のお話では、ワイエスは自分が見た光景を頭の中で組み替え、まるでクリスティーナの背後にいるかのような視点へと、劇的に「トランスレート」して作品にしたということでした。

これはかなり印象に残りました。

写真のように「見たものをそのまま写した」のではありません。

実際に目で見た光景が脳の中へ入り、それをもう一度別の視点から構築して、一枚の絵にする。

前半の春田先生のお話にあった「人間は世界をどう認識しているのか」という話とも、不思議につながってきます。

平面の絵なのに、脳が奥行きを作ってしまう

佐藤先生のお話でもう一つ面白かったのが、『クリスティーナの世界』を見るときの「焦点」の話でした。

まず手前にいるクリスティーナを見る。

次に、遠くに建つオルソン・ハウスを見る。

もちろん絵そのものは一枚の平面です。

クリスティーナも家も、物理的には同じ平面上に描かれています。

それなのに私たちは、近くのクリスティーナを見ている時と、遠くの家を見ている時とでは、本当に視線を遠くへ送っているように感じます。

平面の絵を見ているだけなのに、脳の中では奥行きのある世界が作られている。

「見る」という行為が、単に目だけで行われているのではないことを実感する話でした。

クリスティーナを30年近く描き続ける

ワイエスはクリスティーナ、その弟アルバロ、そして二人が暮らすオルソン・ハウスを長い年月にわたって描き続けました。

佐藤先生自身も現地を訪れています。

講演では2015年、2017年に訪れた際の写真も紹介されました。

作品の中で何度も目にしてきた建物を、実際に訪れて撮影された写真です。

こうした写真を交えながら話を聞いていると、美術館の額の中にある「作品」だったものが、実際にそこで生活していた人たちの物語として見えてきます。

そしてヘルガへ

クリスティーナとアルバロが亡くなった後、ワイエスはまた別の人物へ目を向けていきます。

その一人が、ヘルガです。

長年にわたりヘルガをモデルとして数多くの作品を描きました。

佐藤先生は2017年、なんとヘルガ本人にも会われたそうです。

講演では、その時に撮影された写真も披露されました。

美術書の中に登場する人物が、佐藤先生ご自身が撮影した写真としてスクリーンに現れる。

これは現地へ足を運んできた佐藤先生だからこそ聞ける話でした。

絵を見ることは、人を見ることなのかもしれない

約3時間の講座でしたが、二つの講演は別々の話のようでいて、私にはどこか一本につながっているように感じました。

春田先生のお話は、

「その人には、世界がどう見えているのか」。

佐藤先生のお話は、

「画家は、目の前の人や世界をどう見て、それをどう作品へ変換したのか」。

私たちは普段、自分に見えている世界が、ほかの人にも同じように見えていると思いがちです。

しかし、そうとは限らない。

見え方も、距離の感じ方も、光の感じ方も違う。

そしてアーティストは、その「自分に見えている世界」を作品として表現しているのかもしれません。

今回の講座タイトルである、

「こころをアートで表現する」

という言葉が、講座を聞き終えたあと、最初にチラシを見た時よりも少し深く感じられました。

そしてタイミングのいいことに、2026年10月3日から12月6日まで、あべのハルカス美術館で「アンドリュー・ワイエス展」が開催されます。

日本初公開15点を含む100点が集結する、ワイエス没後、日本初の回顧展とのことです。

佐藤先生のお話をこれだけ聞いたあとです。

これは実物を見に行きたくなりますね。

作品の前に立った時、自分の目はどこを見るのか。

そして脳の中では、どんな世界が作られるのか。

今回聞いた話を思い出しながら、じっくりワイエスの作品を見てみたいと思います。

誘ってくださった澄川白舟師匠に感謝です。

思いがけないお誘いから、自分ではなかなか足を踏み入れなかった世界を知ることができた一日でした。

 


写真左から佐藤先生の大学院時代の方、澄川白舟師匠、あべのハルカス美術館の方、佐藤宏道先生、芦屋美術会の方、筆者

 

もうかれこれ5年はお会いしていない、アトピーを笑い飛ばす会「あとっぷ」からのご縁で知り合ったN君。


彼の実家は農家🌾


毎年、お米を送ってくれます。



お米ができるまでの工程をご丁寧に書いてくれるところが、N君らしい優しさ✨


何度も「会いましょう」という言葉を交わしながら、ゆっくりと話したことは20年もありません。


今年こそは会おうと企みます😏




それにしても、不純物がないお米ってこんなに美味しいのかって感動します。



朝ドラ「あんぱん」、面白くて毎日見ています。私は午後の再放送派です^_^




やなせたかしさんの考え方には学ぶところが多く、短気な自分には深く突き刺さります。  
人それぞれ考え方があるのだから相手を否定しないこと。俯瞰的な視点で物事を見ながらも、アーティストとして作品に自分の思いをしっかり込める姿勢。さすがだと感じます。

アンパンマンが本当に世に広まったのは、やなせさんが69歳のときだそうです。  
絵本を出した当初は大人から高い評価を得られなかったものの、2〜3歳の子どもたちが根強い読者となり、それが広がっていったといいます。アニメ化で一気に人気が爆発したのは70代になってからだとか。本当に驚かされます。

「正義の味方」への違和感

私が特に心を打たれたのは「正義」についての考え方です。  
正義とは立場によって逆転するもの。誰にとっての正義かで意味が変わります。
やなせたかしさんの言う「正義」とは――  
「献身」と「愛」。
たとえ人のために尽くしても、正義は傷つくことがある。  
それでも、献身と愛を持って生きるなら、苦しくて泣きながらでも自信を持って生きられるのではないでしょうか。

政治や悪口について考える

政治の場では名指しで悪口を言う人もいます。けれども、その人の気持ちをほんの1/1000000でも想像し寄り添うことができたなら、誹謗する言葉を投げなくてもよいはずです。
「そんな甘いことでは世の中は変わらない!」と言われるかもしれません。  
ですが、悪口を言っても自分を支持している人が溜飲を下げるだけで、票が増えるわけではありません。
あなたのコミュニティで「正しい」とされることが、別の場所では「正義」とは受け取られない。だからこそ「献身と愛」で向き合うことに意味があるのだと思います。

損なのか、希望なのか

では、「献身と愛」で生きることは自分が損をするだけでしょうか?  
いいえ。むしろその先で、より深く人とつながることができ、平和の可能性まで見えてくるのではないでしょうか。
世界の大多数を占める静観する人々の心に「献身と愛」が少しでも芽生えれば、大きく声を上げなくても、社会は緩やかに変わっていくはずです。

子どもの頃、夢中で漫画を描いていた自分を、今ふと思い出しています。