もうかれこれ5年はお会いしていない、アトピーを笑い飛ばす会「あとっぷ」からのご縁で知り合ったN君。


彼の実家は農家🌾


毎年、お米を送ってくれます。



お米ができるまでの工程をご丁寧に書いてくれるところが、N君らしい優しさ✨


何度も「会いましょう」という言葉を交わしながら、ゆっくりと話したことは20年もありません。


今年こそは会おうと企みます😏




それにしても、不純物がないお米ってこんなに美味しいのかって感動します。



朝ドラ「あんぱん」、面白くて毎日見ています。私は午後の再放送派です^_^




やなせたかしさんの考え方には学ぶところが多く、短気な自分には深く突き刺さります。  
人それぞれ考え方があるのだから相手を否定しないこと。俯瞰的な視点で物事を見ながらも、アーティストとして作品に自分の思いをしっかり込める姿勢。さすがだと感じます。

アンパンマンが本当に世に広まったのは、やなせさんが69歳のときだそうです。  
絵本を出した当初は大人から高い評価を得られなかったものの、2〜3歳の子どもたちが根強い読者となり、それが広がっていったといいます。アニメ化で一気に人気が爆発したのは70代になってからだとか。本当に驚かされます。

「正義の味方」への違和感

私が特に心を打たれたのは「正義」についての考え方です。  
正義とは立場によって逆転するもの。誰にとっての正義かで意味が変わります。
やなせたかしさんの言う「正義」とは――  
「献身」と「愛」。
たとえ人のために尽くしても、正義は傷つくことがある。  
それでも、献身と愛を持って生きるなら、苦しくて泣きながらでも自信を持って生きられるのではないでしょうか。

政治や悪口について考える

政治の場では名指しで悪口を言う人もいます。けれども、その人の気持ちをほんの1/1000000でも想像し寄り添うことができたなら、誹謗する言葉を投げなくてもよいはずです。
「そんな甘いことでは世の中は変わらない!」と言われるかもしれません。  
ですが、悪口を言っても自分を支持している人が溜飲を下げるだけで、票が増えるわけではありません。
あなたのコミュニティで「正しい」とされることが、別の場所では「正義」とは受け取られない。だからこそ「献身と愛」で向き合うことに意味があるのだと思います。

損なのか、希望なのか

では、「献身と愛」で生きることは自分が損をするだけでしょうか?  
いいえ。むしろその先で、より深く人とつながることができ、平和の可能性まで見えてくるのではないでしょうか。
世界の大多数を占める静観する人々の心に「献身と愛」が少しでも芽生えれば、大きく声を上げなくても、社会は緩やかに変わっていくはずです。

子どもの頃、夢中で漫画を描いていた自分を、今ふと思い出しています。

SNSで「ひとりごと」や「備忘録」というタイトルで投稿する人に違和感を感じる理由は、以下のような点が挙げられます。

 

1. 公共の場での「独り言」という矛盾

• SNSは基本的に不特定多数が閲覧できる場です。「ひとりごと」や「備忘録」といった表現は本来、他者の目を気にしない私的なつぶやきや記録を指します。しかし、その内容をあえて公にしている点が、内輪の発信と公共性の狭間でチグハグな印象を与えます。

 

2. 「誰かに見てもらいたい気持ち」が見え隠れする

• 「ひとりごと」「備忘録」と断りつつもSNSに投稿するのは、本音では誰かに読んでほしい、反応が欲しいという心理があるのでは?と感じる人がいます。他人に見てもらう前提の場で「これは独り言です」というアピールが、かえって承認欲求や構ってほしい気持ちを強調しているように見える場合があります。

 

 

3. コミュニケーションへの期待の不明確さ

• SNSは他者とのコミュニケーションを前提とした場です。「ひとりごと」「備忘録」とされると、リアクションやコメントを求めているのか、無視してほしいのか分かりづらいため、受け取る側も戸惑いを感じやすくなります。

 

4. 本来の意味との差異

• もともと「独り言」や「備忘録」は他人に共有しない性質のものです。それをあえてSNS(共有空間)で発信する行為自体が、言葉の意味とのズレ=違和感につながります。

 

まとめ

要するに、「ひとりごと」「備忘録」には“独り”や“自分だけ”のニュアンスがあるにもかかわらず、SNSという“他者とつながる場”に投稿されることで、“内向き”と“外向き”の意図が混在し、読み手に微妙な不協和音(違和感)を生じさせるのですね。