ども。

ニセコが来週放送されるらしいよ。


来週25日の、18時半から19時、

お笑い芸人の宮川だいすけがやってる「満天☆青空レストラン」って番組の企画で

ニセコにある“チーズ工房”という場所が紹介されるんだって。


1月末には「鉄腕ダッシュ」の企画でルスツという近くのスキー場で雪だま転がしの撮影がされた。

それが来週26日に放送されるみたい♪


どうやら城島と松岡が直径2.3メートルの巨大雪玉“おゆき”を作った・・・らしいww



ん~なんか楽しみ♪

ご無沙汰しております、かおりいぬです。

「結婚式どうなったの?」と、ブログ読者の方からメッセを頂いたので報告します。


おかげさまでに11月27日に、地元で結婚式を挙げる事ができました。


何だか結婚式の準備と、夏の農家の仕事で、ほんっと忙しくブログも放置ww



まず、式場選びから。。


当初、ホテルで式を挙げる予定で仮予約というのをしていたのですが、

(うちの母親も兄貴も挙げた式場)

うちの母親に文句を言われ、渋々キャンセル。



家出をした人がそんなところで結婚式を挙げる必要はない!

お前らの結婚式がなんぼのもんやと思ってんねん!・・・とのこと。




んで、再び式場選び。

みんなと近い距離で式を挙げたかったので、最近流行りの「レストランウェディング」にする事にしました。

ホテルで挙げた場合に比べ20万ほど安くあがったと思います。




さっそくゼクシィネットで式場を探し、よくわからないけど雰囲気で決めた会場。

ネットで調べてメールして電話して・・・。

式場まで見に行く時間も費用もなかったので、それだけで決定。


前金10万を払わないと予約できなくて、行ったこともないのに電話1本で決めましたw


結果良い式場だったので、一安心しましたw



8月に両家顔合わせの食事会をするため、関西に帰ってたのですが、

1泊2日、飛行機で帰宅。

ハードタイムスケジュールでしたw





それから北海道へ帰って、式の準備なんかを勧め、11月11日入籍。

私は一人、11月10日の船でお先に帰宅。


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

夏にお世話になった農家のお父さんからは、「インカのめざめ」(芋)をお祝いとして頂き、

式に招待したみんなと、お祝いを頂いたみんなと、あとお世話になった人等に配りました。



「お母さんと喧嘩しないようにな」と言われましたが

帰ったらまたお母さんと喧嘩やわ~なんて思いながら

船のなかでは披露宴の時に流す動画やその他もろもろ一人で準備してました。




案の定喧嘩もしましたが・・・事件が起こりました。




22日、昼頃。急に腹痛が・・・。

胃がめっちゃ痛くなり、いつもの胃痛かと思い、胃薬を飲み横になりました。

30分ほどして、普通なら胃痛も治まるはずなのに、かなり痛みました。


15時頃から続く嘔吐。

17時頃には微熱を感じ、風薬を飲み再び横になりました。

23時頃、痛みと嘔吐、微熱も続いたまま。異変に気づき旦那に電話。


症状を伝え、ネットで調べてもらうと「虫垂炎」とのこと。盲腸の一種です。


24時すぎ、両親に病院へ連れて行ってもらい、診察を受けると盲腸の可能性が高いので入院と言われました。

入院した時点で日付は23日。生憎祝日で、手術するための検査もできないという事でした。



・・・結婚式まであと4日。。。。




もう中止か延期か・・・そんな中旦那も飛行機で関西へ帰ってきました。

飛行機の到着時間が23日の21時頃だったので、

本当ならば、私が車で迎えに行く予定だったのですが、ベットから動く事もできませんでした。

トイレすら、車椅子の状態。。。




なぜかうちの両親が連絡を入れたらしく、その日はうちの実家に泊まっていたそうです。


24日になり、旦那が面会に来てくれました。


今まで式の準備はほぼ全部私に任していた旦那は、あたふたww

打ち合わせに行く予定だったのでとりあえず式場に連絡を入れると、担当の方もあたふたww


一方私は、寝返りもうてないくらいの腹痛・・・。


24日に精密検査をしてもらい、手術か投薬か選択を迫られました。


思ったより症状が悪化しており、本来ならば即手術という話らしいのですが、結婚式3日前という事もあり、

盲腸の痛みか(投薬)、手術による傷跡の痛みか(手術)・・・。


結局、先生の勧めもあり、投薬で痛みを散らし、式が終わってから手術という事になりました。


手術して以来、絶食の指示が病院から出され、

お茶か水、ポカリくらいしか口にする事を許されませんでした。


投薬か手術、どっちにしろ、式当日には絶食の指示が出てしまいました。


手術の予定日は28日。式の次の日です。


本来手術の場合、マニキュア等は全部取らないといけないらしく、

23日に、プランの中に入っていたネイルをキャンセルしていたのですが、

どうしても、どうしても諦められず、26日にもう一度予約を取りました。

せっかくやってもらって、その日に取るなて考えられなかったので、担当の先生にお願いして許可をもらいました。




26日、結婚式前日。

外出届けを出して、5日ぶりの一時帰宅。

5日間付けっぱなしの点滴も取ってもらい、家へ帰ってお風呂に入り、いざネイルサロンへ!!

約2時間半、死に物狂いでやってもらった爪がこちら。。。

ブライダルネイルの完成です☆彡


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ


この時初めて聞いた話で、

うちのお父さんと旦那とで夜に家で飲んでたらしく、そこでお父さんの想いをいろいろ聞いたらしいのです。

お父さんは、既に涙を流していたらしく、今ままでろくに話もできなかったのに、急接近できたそうです。



旦那がうちの家に泊まって病院まで行ってくれたり、

旦那の両親がお見舞いに来てくれたり、家に挨拶に来てくれたり、

いろいろしてくれたのもあり、うちの母親もやっと結婚するということに決心がついた様子でした。



毎日病院にお見舞いに来てくれた母親。

いつも、私はやりたい事を勝手にやって、勝手に家も出て行ったので、

最後の最後に、娘の世話ができるいい機会になったと言ってました。



うちらの結婚を反対していた両親。

盲腸のおかげで、いい方向に進むように神様が仕向けたのかもしれません。





この時も水かお茶、もしくはウィダーインゼリーのようなものしか許可が出てなかったので

カバンに、ウィダーインゼリーのいろんな味を入れて移動してました。


そして21時、病院へ戻り夜の点滴。



いろんな飲み物、ゼリーを口にしていたと思ったのですが、

少し脱水症状が出ていたらしく、ただでさえ出にくい血管は、さらに見にくくなっていて

看護婦さんは、結局4回失敗し、5回目で人が変わりやっと針が刺さり、点滴を受けました。


この点滴をする度に症状が明らかに楽になっていくのが自分でも分かりました。

最初は寝返りもままならなかったのに、この日には歩いて外出できるほどでした。




そして今度は外泊届けを出して自宅へ戻りました。

家へ戻ったのはすでに22時を過ぎていて、それでもまだ明日の準備ができていなかったので


もう遅かったので、旦那もうちに泊まることになり、旦那は先に寝ましたが

私はパソコンを睨めっこし、就寝についたのは夜中の3時でした。




27日、結婚式当日。

体調抜群!!肌の調子も絶好調!!!

水をお茶とウィダーインゼリーをカバンにいっぱい詰め込み、式場へ向かいました。


21日から入院し、点滴生活をしていたので体重は5kgも減ってました。

その代わり胃の中も腸の中も、からっぽでした。


入院中は点滴をしていたので、必要な栄養は摂取できていたのですが、

当日はウィダーインのみ。看護婦さんからは当日倒れないか心配って言われたり、

たぶん立ちくらみとかするから、何かあったらすぐ休憩してね。なんて言われましたが、

気合で結婚式を挙げてきましたw


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ  愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

友人からの余興では、KARAを踊ってくれたり、感動ムービーを作ってきてくれたり、

こちからかもサプライズを用意したり、みんなのおかげで、本当にいい結婚式を挙げる事ができました。

一般的なホテルでの結婚式、レストランウェディングと大きく違うのは、みんなとの距離だったと思います。

アットホームな感じで、ほんわかした式になったと思います。



愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ   

夏にお世話になった農家のお父さん、お母さんから頂いたメッセージとお花も飾らせていただきました。

メッセージには「かおりちゃんへ 結婚おめでとう 子供はまだ作らない様にね♪」

来年の夏も手伝いに来てねって事ですw


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

席次表も手作りしました。

簡単なプロフィールなども載せて♪



愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ


メッセージボード。

印刷屋さんでポスターサイズに伸ばしてもらった写真をメッセージボードにしました。

写真はもちろん羊蹄山♪


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

ウェルカムボードは2時間で書きましたw

モザイク写真にしたり、似顔絵を書いてもらう人も居て、そんなのもやりたかったのですが、

なんだかんだ考えてる間に時間がなくなり、いそいで作ったんですが、そこそこに仕上がりました。




愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

席札には、人数分の指人形を手作りしました☆彡



愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ    愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

手作りムービーには、北海道の様子も写したかったので

かおりいぬが運転するリフトを利用してみました☆彡(写真みにくくてすみません)


忙しくて前撮りもできなかったので、その費用を当日の衣装替えにあてて、白無垢も着ることにしました。


ドレスと違い、着付けの人も心配しながらも思いっきり帯びを締めて・・・。再入場~!

たった数時間のこの衣装たち。

やっぱりいいなぁ~♪と改めて思いました。

愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ


式が終わり、みんなを送ったあと、カメラマンに写真をとってもらいました。

この時、けっこうフラフラ。。

「あとワンショット!頑張ってくださーい」なんて言われながら意識朦朧としていました。


帯びをほどいたら、少し楽になり、とりあえず2次会も少し参加する事にして・・・


2次会は、飲み会みたいな簡単なものにしたかったので、

みんなで言う3次会以降の雰囲気で、普通の居酒屋で行いました。



1時間ほどで、先に帰らせてもらったんですが、

21時には病院に戻って点滴をしないといけなかったのでww

家へ帰り、お風呂に入って、入院の準備して・・・



結婚初夜というのですかね、その日は病院で1人居ましたw


朝、目が覚めると手術の日です。

いままで手術ってした事がなかったので、不安でいっぱいのかおりいぬ。


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

胸から下だけの部分麻酔だったので、

意識がはっきりしていました。そのため恐怖心がハンパじゃなく、

メスを入れられる瞬間は失神するかと思いましたw


かなりの緊張と疲労で、術後は目を開けてられないくらい衰弱してましたw

頂いたお花も、病室に飾らせていただきました。


愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ   愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ

そして手術から2日後にはご飯を食べてもいいと許可が出て、約10日ぶりの食事をしました。

術後4日後には退院し、5日後には船に乗り北海道へ帰ってきましたw



別に急ぐ予定はなかったのですが、なぜかうちの母親が早く帰ったほうがいいと言い出したもので・・・




退院した日、旦那もうちへ来て最後の夕飯をみんなで食べ、

いい気分になったうちのお父さんは、旦那を拉致し、飲み屋をはしごしてベロンベロンになった父親を旦那が支えながらタクシーで帰ってきましたw




当初あれだけ反対されていたのが嘘のようで、

8月に行なった両家顔合わせの時のうちの母親は、意地でも私は喋らないなんて言ってたけど

式前に病気になったおかげで、両家が急接近。

式当日には笑顔で喋れるまでになりました。




いろいろありましたが、なんだかんだうまくいって、本当にいい結婚式を挙げることができました。

みなさん、本当にありがとうございました☆彡

遅ればせながら初滑りしてきました!

久々で、太ももが悲鳴あげてました。。。
愛しのかおりいぬ。の“なんだかんだ”頑張ってるんだ