昔々のお話し
お早うございます🔥
山手線 外回り 新宿駅を出て ・・
新大久保駅にさしかかる手前・・・
1962年の冬の朝 ・・・
車窓から 見えた風景は ・・・
200リットル容器のドラム缶の空き缶に
薪を入れて火を焚きつけて暖をとる
《日雇い人夫》の人々達の姿でした。
亡父の自動車修理工場でも 工員が
ドラム缶の焚き火で暖をとっているので
目新しい光景では有りませでしたが・・
車窓から見た印象は 荒んだ(すさんだ)
感じがしました。
当時は2年後に控えた東京オリンピック
に向けて 至る所で道路工事や建設が
行われていました。
好奇心が旺盛な私と友人が 後日・・
その場所に行きまして 焚き火の側に
近づきましたら 男が ・・・
『兄ちゃん 火にあたるのなら10円
払いな‼️』
・・・と 言われました。
トラックが来ると ゾロゾロと人々が
移動して車の側に集まります。
『千駄ヶ谷 道路 土木‼️ 550』
『渋谷 競技場‼️ 530』
(数字は日当です)
大学卒サラリーマンの月給が2万円の
時代です。
トラックの荷台に乗っている人数を見て
いた手配師が ・・・
『はい そこまで〜‼️』と声が上り・・
締め切りとなります。
貴重な経験でした。
♬ 今日の仕事は 辛かった あとは
焼酎をあおるだけ〜・・
(山谷ブルース)
♬ 工事 終われば それっきり
お払い箱の 俺たちさ〜・・
沖仲仕(おきなかし:船舶からの陸揚げ)を
経験しましたが一日でダウンしました。
🙇♂️