今日ね
電車の中で笑いが止まらなくて
涙を流しながら
声を押し殺しながら
そりゃもうキツくて


あ、こんにちは
糸師〜いとし〜です
19歳になる息子が
空気が読めないサトシbotさんという方が
参加したツイートを写メして
送ってくれたので、
電車で読んだら
上のようになった次第です。
小心者の私はそのやり取りを
ここに載せて良いのかわからないので
あらすじを言いますと、
それは日本国民として許せない!
いやいや、日本がやってきたこと知ってんの?
みたいな激論がやり取りされて
是が非かとヤキモキする中、突然
ポケモンゲットだぜ!
って空気が読めないサトシbotさんが
割り込んでくるんです。
ソーゼツな芸術でした。
冒頭でハードル上げちゃったから
面白さが伝わらないけど
かなりの爆発物でした。
先日
娘のオープンキャンパスに
興味本位でくっついて行った流れで
明治大学シェイクスピアプロジェクト(MSP)の
ヴェニスの商人の劇を観に行きました。
翻訳も演出も全て学生さんが手がけて
深く深くシェイクスピアのありのままと
真っ正面から向き合った
本当に素晴らしい劇でした。
私が批評するのも誰やねんって感じですけど
過去に
いくつかのシェイクスピア批評を
シャイロックについての解釈や
ハムレットやオフィーリアや
ジュリアスシーザーやブルータスや
しまいにはシェイクスピアがいたのかいなかったのか
など
様々なものに接した際、
シェイクスピアが作った劇の中の数々を
正しいか正しくないかで論じるのは
すごくムズムズしたのを覚えています。
シェイクスピアという人が作った芸術は
それぞれの役者のキャラクターに
劇中の役割を与えただけ。
良い悪いを世に問うたわけではなく
ただその役はそういう役割を
全うしているだけでなんです。
後は観客に委ねるんです。
その未熟なありのままの人物は
観客がそれぞれの現実に戻った時に
鏡の役割を果たすんです。
芸術とは
そういうもの
なんか神社みたいですね。
それを
あの役は間違った事を言っている
シェイクスピアが作った人物像は間違いだ
などと言うのはなんともナンセンスです。
まずはドップリ浸かって
自分の感情が受けた刺激を
現実に持ち帰る
それが
芸術の醍醐味だと私は思います
先日
セカオワのフカセ君が
インスタで
ぶっ殺すぞ
っていうコメント付きの
自身の画像をアップされていたのですが
これについても
善悪の感想があふれていました。
私は彼のインスタは芸術や作品みたく思うので
良い悪いで言ったらぶっ殺すは良くないですけど
そういうんじゃムズムズするんです。
子どもがぶっ殺すぞと言ったら
アニメのキャラがぶっ殺すと言ったら
フカセ君がぶっ殺すぞと言ったら
その言葉はなんの役割があるのでしょう?
本当に殺すなら言わずに殺すでしょう。
その言葉の霊を受け止める。
怖い痛い非日常危険ヤバイ逃げろ
その叫びは破壊。
その発信源は
何を私に伝えているのか?
そこで考える肝が大事で
肝が座っているのが大事で
ただその役者が役割を演じてくれているだけ
そしてそれを自分でどう受け取るのかが
その破壊のギフトなんだと思います。
役割から受け取る重みを
客観視させてくれるのが
道化のランスロット。
MSPの方のランスロットの劇中での役割も
私の中では心地良かった
シェイクスピアの劇は
単純な人物像とプロットでできているので
各時代で色んな解釈を受けやすい。
それがまた
シェイクスピアが長きにわたり
チャレンジされて
愛される所以かなと思います。
空気が読めないサトシbotさんは
見事な道化の間を
作り出していた!
神業です。
私はツイッターやってないので
賞賛を送れないですけど
善悪の重みを取って笑っちゃう才能は
ずっと発揮してほしいと思います
どうか
世の中の役割を演じている方を
その言葉や行動の善悪で見るのではなく
その発される言葉や行動のヒントを
自分の現実に落とし込んでください。
SOSかもしれない
警告かもしれない
破壊からの再生の予兆かもしれない
その人の魂の破壊は再生だという
在り方なのかもしれない
ギフトかもしれない。
そして、
それを
ポケモンゲットだぜ!って
トンチンカンな現実に笑いを戻す
サトシbotさんの道化的な役割に
敬意を‼️
全ては
空気を読まない事に
己の美学がある
私も空気を読まない
良い悪いの関係のない
糸師でありたい
今日もいつもありがとう
