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@keijiharada3737
僕たちの歩みがつずられています
特に飛田に無礼人氏とバンドでの野望を抱いて同居を始めたことが大きいだろう
なぜ”飛田”に?
これも不思議な誘いで
2人で部屋を探しになんばの大きな不動産やに行ったときのこと
担当してくれたお兄さんに諸所条件を伝えた際、
私たちの風貌をみて物件をすすめてくれ、その足で見に行ったのです
私たちの風貌~ロン毛で汚らしく、いわゆる”ロッカー気取り”(笑)
昼間物件を見に行ったのが運のつき
新築マンション、2LDK、バス、トイレ独立
中央リビングを挟んで入り口入って右に洋室6帖
奥に和室6帖
家賃7万円(90年当時)
安い!割り勘で一人35000円
天王寺もしくは動物園前のちょうど真ん中に位置し立地最高!
即決め!
その後、まさか夜の賑わいを知る由もなく・・・
私たちの住んでいたのは3階
なぜかマンションのエレベーターで”2階”の表示がないことにはなんの疑問も抱かなかった
”2階”は?・・・だったんですねぇ
住み始めた時期は前身バンド解散~新バンド(現ヰタ・セク)リハーサルと
部屋ではことあるごとにリビングに集まり
ミーティング、曲合わせを重ねた
最初に出来たのは「囚人の群れ」「世界の終わりに」「記憶の空(初期ライヴのレパートリー)」追って「君のいる地下室」、「悪魔兄弟の呪文」て曲(ケネス・アンガー、モチーフ)も初期レパートリーだったな

バンド名が決まったのはこの時期でしょうか?
色々候補があった~一番インパクトがあったのはバイオリンのK氏が提案した
「小公女ペニス」~凄いインパクトだっ!
もしこのバンド名になっていたら、その後どうなっていただろう?恐ろしや・・・
まぁ結局、私が読んでいた「森鴎外」の小説にイメージがぴったりで決まった訳ですが
森鴎外のそれ、と双璧をなす衝撃というか
私たちを導いたのが渋澤龍彦でしょう
最初に渋澤の小説?作品に出会ったのは「エロス的人間」
何かの導きだったのでしょうか
当時、私がバイトしていたレンタルビデオ屋で
私の前の店員の忘れ物、机の上に何気に置いてあった
店自体小さく、基本店員一人で、おもくそ暇な店だったのです
恐る恐る読んで衝撃!
(就業中は本読み邦題、ギター持ち込んで曲作り放題、映画見放題
で最高の空間だったのです)
特に飛田での同居生活の集大成が
ヰタ・セクの1stアルバムですね
あの豪華な装丁
貯金全部はたいて
箱も全部自分たちで組み立てて
特に写真、無礼氏の友人の写真家に撮ってもらった
(彼は軍艦島に上陸して撮影もしている)
写真撮影はかなりやばいので
早朝から撮影開始
1stのブックレットの写真は全てリアルな”飛田”です
しかも、住んでいたマンションの外
特にメインの写真は目と鼻の先の建物

画像比較
上が95年?1st
下が同じ建物前2012年
これからも、ず~っと無礼人/残月のコンビは続いていきます
世間的にみれば全然知名度ないですが
付いてきて損はないと思います!
これからも私たち~ヰタ・セクの動向をお見逃しなく!