1985年に結婚して、阪急京都線淡路駅から東に行ったところにある米虫ハイツの一階の部屋を借りた。真上に住んでいる花谷という家族には小さい子どもが二人いて、家にいる間ずっと走り回っている。ある晩、妻が少し静かにしてくれるように言いに行った。すると、しばらくしてそこの30歳くらいの亭主がうちに来て、「子どもを縛っておけと言うのか」と怒鳴りつけてきた。与太者だ。私は言い返すことができなかった。

 

 その後、私は胃が極度に痛くなり、精神状態がひどい状態になって、近くにあった淀川キリスト教病院の精神科にかかった。トフラニールか、アナフラニールを処方された。

 

 夕暮れ時、淡路駅から家に向かって歩いていると、後ろから来た自転車が猛スピードで私の直前でターンして去って行った。私はとっさに立ち止まった。「危ないじゃないか」と怒鳴ると、その老人が振り返って「じじいだからとなめるんじゃないぞ」と怒鳴った。

 この淡路駅近辺は、見るからに与太者風の人間の多いところだった。何も知らずに引っ越してきたのは失敗だった。

 

 入居してから二年後、大阪府の北の外れにある島本町に新しくできた公団住宅が入居者を募集した。できた戸数より入居希望者の方が多かったので、抽選になったのだが、運良く当選した。それで米虫ハイツを出ることになったのだが、この物件を取り扱っている不動産屋「さわ」の従業員青島および、近くに住んでいて、マンションの管理をしている米虫の娘夫婦(名字を忘れた)と交わしたときの契約では敷金は大家に取られることになっていた。ところが、階段の下に注意書きのようなものが貼ってあって、そこには、この集合住宅は大阪市の補助金を受けている建てられたものなので、入居者に敷金を全額返すことになっている、と書いてあった。

 

 大阪市に問い合わせてみると、それが正しいことが分かった。私はそのことを共産党の市議会議員および朝日新聞に知らせた。朝日新聞に記事が載り、市議会議員は市議会で質問した。私は、敷金は全額返却することになっているということを書いたビラを作って全戸(わずか12戸だが)に配った。すると、ある日、所有者の娘が、彼女の子分らしい入居者の女性一人を引き連れて、私の家を訪ねてきて、「あんたのせいでこのハイツが大騒ぎになっている」とすごい剣幕で私を怒鳴りつけた。自分たちが悪いことをしているくせに、正しいことをほかの賃借人に教えた私を非難するのである。このように大阪人は自分が悪いことをしても人を非難し、怒鳴りつけることができるのだ。

 

 私がそのマンションを出る日、この物件の取り扱いをしているさわ不動産の別の従業員が尋ねてきて、マンションの所有者の米虫がやってきているという。そして、彼は、娘と青島が勝手に敷金を懐に入れていることを知って激怒し、親子げんかの真っ最中だという。さわ不動産は敷金を全額返してくれた。

 

 米虫ハイツは建ってから十数年経っていたから、娘と青島はかなりの金額を懐に入れていたのだろう。

 

 その日、私が引っ越しの準備をしているときに、米虫ハイツに入るという若い女性が尋ねてきて、彼女は、青島が彼に渡した百万円を持ち逃げしたと教えてくれた。さわ不動産にいられなくなって逃げたのだろうし、持ち逃げしたのは百万円だけではないかも知れない。

 

 大阪人には、見かけは決して与太者やチンピラでなくても、悪いことをする奴が多いのだ。

 

 書いているだけで、感情が高ぶってくる。

 

 島本町の公団住宅に引っ越したあとのことだ。ある日、妻と二人で十三(じゅうそう)にあったフレンチレストランで夕飯を食べて、水無瀬駅に戻ってきた。駅前に露天があって、メロンを売っていた。そこに「1個150円」と書いてあった。私はそこに行って、「150円のメロンをください」と言った。男はメロンを袋にいて差し出し、「千円」と言った。私は「それではなく、150円のメロンをください」と言うと、男は、人を嘲る調子で「明日おいで」と言う。いつもなら、私はそのままそこを離れるところだが、ワインを飲んでいて、一杯機嫌だったので、「インチキな商売するんじゃないよ」と言って、その場を離れようとした。するとその男が追いかけてきて、私の胸ぐらを掴んだ。私は掴み合いのけんかなんて一度もしたことがなかったので、相手の服を掴み、殴られまいとできる限り腕を伸ばした。相手は私より背が低く、痩せていてとても強そうには見えなかった。その上何の技も持っていないようだった。それで私たちは(間抜けなことに)しばらくお互い相手の服を掴んで、腕を伸ばしたままになっていた。そばにいた人たちが私たちを引き離してくれて、男は離れていった。こういうチンピラが多さには本当に多いのだ。関西なんかに来るんじゃなかった。