現状の世界情勢はバングラデシュ
において日本人が7名犠牲になりいつどこでも
(国内でも)事案が懸念される
自国民の安全 ・救助について考えさせられる内容でした。
後半終わりは日本政府 法政がらみの重たいEND
この史実は 薄々は聞いてはいましたが 映画にて知り得る時代背景が垣間見れた気分
【あらすじ】
話は1889年(明治22年)から始まる。オスマン帝国の軍艦「エルトゥールル」号は、イスタンブールから日本へ向けて出港した。オスマン帝国は、現在のトルコ共和国だ。エルトゥールル号は親善使節団を乗せていた。明治天皇へ謁見(えっけん)するためだった。そして翌年6月には、明治天皇に親書を渡し、役目を終えると、同年9月、帰路についたのだ。
ところが、和歌山県樫野崎沖にさしかかったところで台風に遭遇し、座礁してしまう。その際、エルトゥールル号は水蒸気爆発を起こし、500名以上が死亡する。生き残った乗組員はわずか69名にすぎなかった。地元串本村の村人たちは、棺桶を用意して彼らを丁重に弔った。生き残った乗組員には、貴重な食料を提供して、ケガ人には手厚い看病をしたのだ。
これは、トルコの教科書にも載っている有名な話である。トルコでは、みんな学校で習う、れっきとした史実だ。
時は流れ、1985年(昭和60年)。イラン・イラク戦争が起きる。時のイラク大統領サダム・フセインは、イラン上空の航空機に対して無差別攻撃を宣言する。この事態をうけ、各国は救援機をイランに派遣した。イランにいる自国民を脱出させるためである。
ところが、日本政府だけは違った。日本政府はイランに救援機を飛ばすことは危険だと判断した。現地の救助要請に応えなかったのだ。イランの首都テヘランには215人の日本人が残されていたにもかかわらず、だ。
絶望的な状況に立たされた日本大使館は、日本人救出をトルコに依頼したのだ。そして、トルコ首相は快く承諾する。だが実は、そのときテヘランには、まだ500人近くのトルコ人が残っていたのだ。
空港では、大勢のトルコ人がカウンターに詰め寄った。救出に来てくれたと思った救援機が、日本人を乗せるというからだ。この騒動をみた日本人たちは搭乗を諦めた。そのとき、トルコ大使館員がトルコの人たちに語りかけるのだ。
「私たちは陸路でも国に帰ることができる。けれど、今日本人を助けることができるのは、われわれトルコ人しかいないのです」
そのとき、空港に集まったトルコの人たちの脳裏には、かつて教科書で読んだ日本人の親切が浮かんだ――。
力の入った大作だった。日本人の多くは1890年のエルトゥールル号遭難事件を忘れている。だが、トルコの人びとは、今もしっかりと覚えているのだ。イラン・イラク戦争の際には、「日本人を救えるのは私たちだけだ」と、救援機を譲ってくれたのだ。付け加えると、トルコの政府や大使館に批判の電話などは一切なかったという。100年近くもの時を経て、恩返しをと考えてくれたのだ。
