ご機嫌よう。伊藤です。
随分と前にウィルキンソントニックの歴史についてアサヒお客様相談室に問い合わせた記事をあげた。
あれから国会図書館に行ったりなんだりして、ずいぶんと日本トニックウォーター史についての解像度が高まったので、今のところの成果をみんなに共有したい。
日本に初めて来たのはいつ?
まず日本にトニックウォーターが来たのがいつか。
1864年のファー兄弟商会が最初と見られる。
ファー兄弟は上海でトニックウォーターをはじめとする清涼飲料水を作っていたが1864年に日本に進出し、以来日本に工場を一本化する。
1864年というのは非常に古いタイミングで初めてジントニックが記録される4年前。
※1865年ファー兄弟商会が『ジャパンヘラルド』に「中国と日本で最初のトニックウォーター製造業者」という広告を出す
戦前までのトニックウォーターの立ち位置
戦前にトニックウォーターを日本人が好んで飲用したという記述は見当たらない。
数社が製造した記録はあるがその詳細な記述は乏しい。
しかしながら1915年に出版された『清涼飲料水之新研究』に当時の有名ホテルやクラブが扱う清涼飲料水の銘柄が書かれている。
グランドホテル、オリエンタルホテル、山手ホテルetc...いずれもトニックウォーターの銘柄は「ノーストニックウォーター」。日本企業は登場しない。
『清涼飲料水之新研究』1915年の日本の清涼飲料水の指南書。装丁もカッコイイ。著者の倉島謙の清涼飲料水へのアツい想いが綴られる。検索するとフリーで全文読めるため是非一読いただきたい。
また、トニックシロップを販売した会社もあるようだ。
トニックシロップのレシピやジントニックの記述は1918年の『船医』という本にも出ているがあくまでも嗜好品ではなく薬としての記述。
1938年の広告。林源十郎商店はキニーネの薬品も作っている。1934年に日本はキナ栽培からキニーネ製造までの全行程を国内で完成させておりそのキナ樹は天皇にも奉納されている。
アサヒお客様相談室に戦前にウィルキンソントニックウォーターを販売している記録があるか問い合わせたところ、社内資料としてはあるらしい。
しかしながら当時のウィルキンソンの広告にはトニックウォーターの記述は見られない。そのため製造流通があったとしてもかなり限定的なものだと考えられる。
詳しくは後編にて取り上げるが二次大戦後にジントニックが嗜好品として登場するまで、日本人にとってトニックウォーターはマイナーな飲み物だった。
現在の我々も触れる機会のほとんどが蒸留酒のトニック割であるのと同じように、日本人が単体で飲むことはあまりなかったようだ。
嗜好品としてはサイダーの方がもっぱら人気だったようでこちらに関してはたくさんの記録が残っている。
ともかく、戦前までの日本ではトニックウォーターの消費は外国人がほとんどだったと言ってよいだろう。
後編では戦後からのトニックウォーターの広がりを述べていく。