きをつかう
氣・気シリーズになりますが…気を使う他者に対しての心配り、みたいに幼少のころから教えられてきました。一見いいイメージですが、自分の本心的には、とても疲れる言葉です。教えとは、教える側の動作、考えなども一緒にくるので、幼少の時から、といえば、やはり親や祖父母からの影響が強いです。他人に粗相のないように気を使え人様に迷惑かけないように気を使えよその家に悟られないように(何を?)気を使え全部外側に対して気を使えのように教えられてきました。気を使う、って本心を閉じて、うわべだけの取り繕いをするってことかな、って。そんな感じで、外に外に気が外に漏れ出ていき、気が枯れるそんな状態がきてしまう、ように感じてしまいます(感受性の問題かもしれませんが)が、やはりよく考えると、それはおかしい自分の気が枯れるってことは自分の活力も削がれていくわけでそれこそ健康にも影響が出そうですよね本来は、自分に対して氣を使う自分を氣で満たして使うのではないかな~と氣をみてそう思うようになったのです自分の本心から目をそらすための気を使うのではなく、自分を見つめるために氣を使うまだまだ自分の本心と向き合えていない私ですが(笑)