私は今、成功報酬型の世界におります。
基本給0円の世界です。
できる人は、年収が3000万とか1億円プレーヤーとか、ごろごろいます。
また反対に、最低賃金法に引っかかるとか、お金がないから活動できないとか、
そういうこともあり得るわけです。
徹夜しつづけて働こうが、週3日しか働かなかろうが、結果がすべてです。
そしてその世界で生き残れる確率もとても低い。
例えば200人いてその7.5%が生き残れるという世界です。
しかもその200人も選りすぐりの人間なのです。
プロ野球の世界とよく例えられます。
プロに入るのだってものすごく大変で、
運動神経の塊のような人間がせめぎ合っていて、
そして時として運が必要で、けがや故障や持病を持ちながら
粛々と戦い続けるのです。
どんな仕事だって、生きるためにする仕事はものすごく、
本当にものすごく大変なのです。
もちろん、大変だけではないのが仕事ですけど。
成功報酬型だから、今の私の仕事だから、大変だとは思いません。
生存率が低いから大変だとか辛いとか、偉いとかとも思いません。
でも、私の仕事はプロ野球の選手と違うのだから、
成功報酬型とはいえ一緒にしてはいけないと思うのです。
生存率が低いままではいけないと思うのです。
業界を変えようとしているのであれば、
なおさらそうなのではと考えてしまいます。
スーパースターしか生きていけない世界って、
本当に魅力があるのでしょうか。
もちろん、生存率が低いということは逆に競争率が高いということなので、
悪いことではないと思います。
しかし競争率が低くて生存率も低いとなると、
この文化や歴史は成り立ちません。
成功報酬型の世界では、スーパースターは成功します。
どの世界でもスーパースターは成功します。通用します。
だからスーパースターに憧れます。
でも、スーパースターに誰でもなれるわけではないのです。
それでますます憧れます。
でもやっぱりなれないこともあるのです。
結果は自分ひとりで決められるものではないのです。
ならば、成功報酬型の世界で、どん底からはい上がったような
サンプルがあったらどうだろうと、ふと思いました。
そのサンプルはひとつとかふたつとかではなく、たくさんあったら。
スーパースターでなくても、伸び悩んでいても、
「どん底にいた人がここまでではい上がってきたのなら、
私はもう少しできるかも。」
と思えるような世界になったら、生存率、上がりますよね。
確率が低ければ低いほど、憧れたり
「自分たちは難しいことをやってのけているんだ!」と
自信につながったりすると思います。
誰がその確率を決めたのでしょうか。
過去の確率に私たちはそれに則ってやらないといけない決まりはありません。
私はその確率を変えてみたい。