そういえば、私は「先生」になるのをちょっと憧れていた時期がありました。
「先生」という立場やその言葉は好きではないのですが、一緒に過ごしている自分より年下の子が「わかった!」という時の、ぱっと一瞬明るくなる表情を見るのは好きでした。
大学時代に水泳部の活動の一環で、夏休みに入ると近所の小学校に行って、プール指導というか子供と一緒になって遊んだりしたのですが、その時は「先生」と呼ばれました。
その時は、教材など一切なく、子供をだっこしてプールに投げたり、おんぶしたり、つい甘やかしたりと、ほんとに体当たりで子供と接しました。
教育実習の時も「先生」と呼ばれました。
一応教職課程を選考し、教育実習に行く前に、特別介護老人ホームや養護学校に実習に行きました。
それなりに準備をして臨んだ教育実習でしたが、結局また体当たりしていました。
準備した分、その見返りというかそういう生徒からの反応を感じられなくて、最初はかなりあせっていました。
しかし、「見返りを求めるな。」と担当の先生からご指摘いただき、見返りにこだわらなくなってからは、急速に自分の中でも変化が起きたのを実感しました。
それを生徒も察知したのもわかりました。
「こんなに変わるのもめずらしい。」と担当の先生から言われた時は、本当にうれしかったです。
先日、インドカレー屋さんに行った時、隣の隣のテーブルに女性2人がいました。
どうやらその2人の女性は、教育関係者のようでした。
ひとりは年配の女性で、学校の先生をしている感じでした。
もうひとりは若い女性で、これから先生になるのか新米先生なのか、年配の女性に教材やワークシートのことであれこれ話をしていました。
その話を聞きながら、私はなんかいい気がしませんでした。
私は「ワークシート」という言葉が好きになれないのです。
個人的な好き嫌いの理由で、その教育方法の是非を考えるのは、危険かもしれません。
でも、ツールを使って子供のことを正確に理解しようとする姿は、どうもしっくりこないのです。
先ほどの2人が話し合っていたのは、登校拒否をする子、突然キレる子に、様々なワークシートを使って、その子供たちの感情を言語化するというような内容でした。
「学校が嫌だ!」と言っている子に、何がどう嫌なのかを自分の言葉で表現することによって、嫌ではないところからちょっとずつ挑戦させてみるとか…。
キレる子に対して、キレたらどういうふうになるのか(頭が真っ白になる、体がほてる等)、どういう時にキレるのかというのを自分で分析させるようにすると、「オレはこういう時にキレるんだな。」と、自分のことを客観的に分析し、それを自分の言葉で表現する(=言語化する)ようになる。
自分の感情を言語化することは、自分のことを客観的に見ることができることにつながり、周囲も理解することができ、トラブルを回避できる。
その2人は、そういうことを話していたのだと思います。
先生によって生徒への接し方がばらばらだったら、とても困ります。
「モンスターペアレント」対応もしないといけないし、ひとりひとりの子供に先生は体当たりできないのかもしれません。
体当たりしているから、悩みに悩んでいるのかもしれません。
そこで専門家の研究や実証によるツールを使うのは、先生方の広いようで狭い経験と独断の中で子供と接するよりも、子供のためにも本当はよいのかもしれません。
でも…。
私はCMをみるのがすごく好きなのですが、その中でも好きなのが、公共広告機構のもので栗山千明さん起用の「命は大切だ」というのがあります。
―『命は、大切だ。』
―『命を、大切に。』
―『そんなこと、何千何万回言われるより、』
―『あなたが大切だ。』
―『誰かが、そう言ってくれたら、』
―『それだけで、生きていける。』
私は今まで接した人に、どれだけその人が「特別な人なんだ」と伝えることができたのでしょうか。
愛しているとか嫌いとか関係ないとかどうでもいいとか、そういう感情抜きに、目の前にいるその人は特別な人なのです。
また、そういうことを自分は、どれだけ言われたでしょうか。
子供は感情を言語化するのは苦手かも知れませんが、子供はいくら敏感だからといって、人の感情を察知して、正しい言動をするわけではありません。
子供には、感情と言葉をセットにしないと伝わらないと思うのです。
そして、子供に伝えなくてはいけない大事なことがたくさんあります。
学校という教育の現場だけで、すべてをカバーすることはできません。
先ほどの女性2人だって、児童や生徒のために必死なんだと思います。
先ほどの会話だって、ランチのほんのわずかな時間で聞いただけであって、それが彼女たちの教育すべてではありません。
でも…。
なんか、ひっかかる。
私ができることは、明日からまた会社で接する後輩に仕事を伝えることくらいです。
上司や会社、社会になんとか貢献しないといけません。
彼らは社会人だし、仕事をしてお金をもらうプロであって、私は彼らにものを教えてお金をもらっているわけではないし、先生ではありません。
でも…。
私も一度は、「教育」に憧れたはしくれ。
先ほどの「なんか、ひっかかる」ものをまず、身近な所から伝えられるようにしたいです。