この前の日曜日のお昼、「オリジナルカルボナーラ」を作ってみました。

オリジナルといっても、私のオリジナルではなく、au one GREEの人のオリジナル。

そして同じ頃、父方の祖父から立派な梨をいただきました。

会社から帰って、冷蔵庫を開ける楽しみが増えました。



このように包丁を持つ機会が増えると(台所に立つ機会が増えると)、ついつい自分の力を試したくなるのが、自分の手料理。

料理をするのは、好きです。

しかし、私は自分が作ったものを自分で食べて、おいしいと思ったことがあまりありません。

料理もお菓子も。

家族や周りの人は、自分の作ったものをおいしいと言ってくれることもありますが、それは本心なのか私に対する優しさなのか、私にはわかりません。



「一生懸命作ってくれたから、おいしい」って、その料理は「おいしい」のうちに入るのでしょうか。

料理がおいしいのではなく、その一生懸命がおいしい…というと変ですが、そういうことなのでしょうか。

多少のことに目をつぶれば、素材そのものだけで十分おいしいこともあるのです。


もしかして、私、料理が下手なのかな。



いやいや、私の母は、料理好きで専門学校にも通っていました。

母の料理はおいしいし。

妹もお菓子を作るのが上手です。

父も料理は好きです。

天ぷらとかこだわります。

弟は…手料理云々の前にちゃんと食べているのかな。



そんな家庭環境で育った私は、少なくともおいしい料理を食べて育っているのです。

しかし、人が作ってくれた料理はどうしておいしいんだろう。


「食べちゃう」は、愛情表現の一種。

食欲は、生理的な欲求のひとつ。

それを自分で自分に与える時、どうなってしまうのだろう。

もし自分で与えたものが自分で納得できないものだったら、自分の愛情を自分で否定することになってしまうのだろうか。

自分で自分が作ったものがおいしと感じるということは、どういうことなんだろう…。



茄子のお味噌汁を作りながら、ふとそういうことを考えていました。

考えながら、だんだん不安になってきました。

…あれっ、なんか茄子が変。

私が実家で食べていた茄子のお味噌汁と茄子の様子が違う。



原因は、茄子を塩で水抜きをしていなかったこと。

茄子を事前に塩で水抜きしてから、だし汁に入れてそれからお味噌をとくのに、私は茄子を切ってそのまま沸騰したお鍋の中へ。

結果、茄子のお化けのようなお味噌汁になってしまいました。


ああ、前途多難。

よく食べていた茄子のお味噌汁ひとつとっても、日曜日の東京マガジンの「やってTRY(料理編)」を心の底から笑えないのも、料理を知らなさすぎるのが問題なのか。

自炊の機会も少なすぎたのか。



これを機会に自炊を本格的に挑戦します。

そして、自分の作った料理が自分でおいしいと思えるように、自分のことを自分で好きになれるように、そしてそれがゆくゆくは愛情表現の豊かな人間へと成長することにつながればと思っています。



茄子のお味噌汁は、私にとって思い出深い料理になりそうです。