今日は、久しぶりに頭にきた出来事がありました。
会社の後輩に対して。
そして自分自身に対して。
自分はもともと、かっとするタイプだと思います。
しかし、A型のわりには大ざっぱでかなり適当で、そのかっとなる習性を抑制してくれています。
またネガティ部なので、かっとするものの、ゆくゆくは自分自身にその怒りをぶつけてしまうため、かっとなっても周りへの影響は少ないと思っています。
そんな自分が久しぶりに頭にきました。
この暑さのせいで、いつもは流してしまうようなことに対して腹が立ったのかもしれません。
明日の午前中納品予定の後輩の仕事が、今日の夜9時過ぎても終わる傾向がありませんでした。
もともと短納期の仕事だったのと、そのデータの状態や作業者および作業工程から、納品間際にばたばたするだろうと思っていました。
案の定、ばたばたしていました。
私は手伝うことをしないで、終わるのをずっと待ちました。
私はそうやって育ってきたからです。
私の物件で、トラブルがあったりクレームが続いたりして、周りを巻き込んで対応している時に、上司は帰らずにずっと待っていました。
私はそれが申し訳なくて、謝ったり、先に帰っていただいても…と今から思えば失礼なことを言ったり、差し入れをしたり、とにかくクレームやトラブルの対応と、それを一緒に対応してくれる方々への対応で必死だったと思います。
自分では必死だったと思うのですが、周りから見れば、今の私と同様に、その当時の私の対応について不満を持っていたかもしれません。
今日の後輩にはそういった周りへの配慮というか心を向けるといったものを、私は感じられませんでした。
その仕事のために、私も私の上司も残っているのに、「大丈夫ですよ~」とへらへらしているのでした。
その後輩は、自分が努力している姿を見られるのをすごく嫌うところがあるので、そういう態度をとるのかもしれません。
あるいは、単になめられているだけのことかもしれません。
でも私はそれがたまらなく情けなかった。
「ご迷惑をおかけして、すみません」の一言があってもよかったのでは、と思うのです。
もしかしたら、そういう考え方をする私は、時代遅れなのかもしれません。
年下の自分が担当している仕事で事故が起き、それで先輩や上司が手伝っているのなら、先輩に対して上司に対して申し訳ないとか、そういう気持ちにならないのが不思議なのです。
そういう自分も常務から「君達と常識がずれている」と言われることがあります。
松尾芭蕉の時代からも、「最近の若者は…」と嘆く節があります。
しかし今回の出来事は、単なる時代の流れによるものだとは思いたくないのです。
先日のセミナーの先生のブログに、「弟子を見れば師の程度がわかるというか…」というような内容の記事がありました。
私はその後輩の師でもないし、メンターとか先輩と言われるほどの仕事を本当にしているのかと言われると、そうではないと言えるのかもしれません。
しかし先ほどの言葉を「私と一緒に仕事をしている人を見れば、私の程度がわかる」というように置き換えることもできると思うのです。
いずれにせよ、後輩がどうであれ、自分の力が至らないということ。
自分の力が至らないから、「失礼な後輩だ」と思ってしまうような後輩と、自分にとっても後輩にとってもよくない環境を作り上げ、その中で仕事することになる。
このような形で自分のできていない所を認めるのは、悔しくて情けないのですが、認める他になすすべがありません。
明日も仕事だ