先週の日曜日、私はセミナーというか講演会というかライブというか、そういうのに行ってきました。

そのセミナーというか講演会というかライブの後に、握手会がありました。



そういえば、握手なんてまともにしたことがなかったかもちゅん



そんなことを考えながら、いよいよ自分も握手する番になって、その場に自分がいるのが不思議で信じられませんでした。

一瞬でもその先生にほんとにお会いできるなんて、今の今まで思ってもいなかったのです。

田舎育ちの私は、テレビに映る人、CDの中の歌手、本を書いた人が、どこか別の次元で生きているように感じていました。

大分と東京という距離の長さがそう思わせたのかもしれませんが、実際東京に住むようになってからもそれはあまり変わりませんでした。

ですから、自分の行動によって(といっても、セミナーに応募し、代金を払っただけなのですが)本を書いている人に実際に一瞬でも会えたというのは、自分にとってはかなり奇跡なのです。



そのセミナーに参加したのは2000人くらいだそうで、自分はその中のひとりです。

1/2000の確立で自分がいる」って、すごく小さい感じがします。

でも自分から起こした行動によって、「1/2000の確立で自分がいる」というのは、自分の中ではとても大きいことなのです。

今の今まで自分はその中にいなかったのですから。



周りの人の力、神様か仏様かご先祖様のご縁、自分ではどうすることもできない何かの作用、そういうのがあってこの微妙なバランスの中で、おかげさまで自分は生きていけるのだと思います。

しかし、その前にいかに自分からのアクション、自分の言動がいかに大事なのかを、月並でいまさらなのですが、ひしひしと感じているところです。



自分が幸せだと思えば、それが幸せなのです。

感謝する気持ちを自分からいつも相手にちゃんと伝えることは、大事なのです。

相手が与える喜びをなぜ自分は、素直に喜ばないのだろう。

どうしていつもそういういちばん大事なことを忘れて、最後まで続けられないのかな。

そしてそれを補うように、テクニックを探してしまうんだろう。



最近、読む本、手に取る本、人から話かけられる内容の中にかなり共通の「お題」というのを感じています。

自分にそれらのお題を解決しようとする意識が欠けているので、神様か誰かが自分に繰り返しいろんな形でアプローチしているんだと、勝手に解釈できるくらい頻繁に触れるのです。

今回のセミナーもそうでした。

そのお題は複数あるのですが、そのお題については次の機会に掘り下げるようにします。