秋葉原の通り魔事件。

自分も事件があった箇所近辺によく営業しているのですが、まだ信じられません。

その話を上司としていたら、この話をブログに書けと言ってきました(なぜ私が?)。

そこで、自分が思ったことを交えながら、整理してみようと思います。


意見が一致したところは、今回の加害者は特別な人ではなく、誰でも今回のような加害者になってしまう要素を持っていることを認識しなければならないということです。

だって、私もコンプレックスいっぱいいっぱいあるし。

自分の容姿に自信がある人、そんなにいるのかな。

結局見た目か…なんて、耳にも口にもたこができるくらい聞いているし、言っている。

友達がたくさんいるよ!!って言える人、そんなにいるのかな。

彼氏や好きな人がいないのは、さびしいし、見た目もさびしく見えるのかもしれないし、自分ってほんとつまらない人間だって思う時もある(けど、おらんもんはおらん一人)。


でも、そういったどこにでもあるような気持ちが爆発してしまうことがあり、それが他人を傷つけるどころかその存在を消してしまうことにもつながってしまったのです。



次に書くお話は、上司から以前聞いたとある人のブログにあったお話です。

なぜかこのお話と上記のお話がリンクしているように思えるのです。


人間は「何をしたか」ではなく、「何を我慢したか」で決まる。

…そういう感じの言葉だったと思います。

遅くまで仕事をしている人がすごいというわけではないと言われるかもしれませんが、何かを我慢して仕事をしているのは確かなのです。

それが遊びだったり、趣味だったり、自分磨きだったり…。

それらを我慢して仕事をするから、すごいのです。

ただ仕事をすることや、プライベートと仕事を分けてうまくこなすことなんて、あまりすごいとも思いませんよね。

へー、なんかうまくやっているのねっていう感じです。

何かを我慢して何かを成し遂げようとするから、そういう人についていきたいと思うし、尊敬できるのです。

「何を我慢しているのか」にもよるかもしれませんが。



どこにでもあるような気持ちが、大それたことにつながるのかならないのかは、この「何を我慢して何をしたのか」があるかないかの差のような気もします。



コンプレックスを持っていることやネガティブ思考が悪いとか、全く思いません。

そういう気持ちはすごく大事です。

自分の感情なんだから、自分で責任持たなくちゃ、と思っています。

でもそれが自分だけではなく、人を傷つけることになってしまうのは、悲しいです。



明日も、嫌いな自分ではなく、ちょっとでも好きな自分に近づけられるようにします。