全身ひどい筋肉痛のまま、月曜日を迎え、今週がスタートしました。
この筋肉痛の原因は、先週の土曜日、仕事が終わってからのジムでの走りです。
私は長距離型なので(たぶん)、今までマシンの上で走っても、燃料をあまり使わない走り方をしていたんだと思います。
長い時間走って汗をかくわりには、疲れるけれどそんなに疲れていないという感じでした。
ダイエットおよびアンチエイジングが目的で走っているのに、このままでよいのだろうか、と上司に相談したところ、「つまさきを使って、走れ」とアドバイスをいただきました。
インターバルで走りながら、スピードと距離を落として、つまさき走りを取り入れてみました。
それでその結果がこの筋肉痛です。
瞬発力を使う動作って、つまさきが起点になることが多いみたいです。
今まで意識していない筋肉(および脂肪)を使ったので、この有様なのです。
実は、筋肉痛になるのが嬉しかったりします。
痛みを感じるのが好き…というわけではありません。
自分がやった結果を自分で感じることができるのが、なんとなく嬉しいのです。
筋肉痛になるということは、その部分の筋肉を使っていないためにある種の炎症が起き、それを修復しようとすることだから、大まかにいえば筋肉を作るということに近いですよね??
そうは言っても、筋肉痛になっている部分が急激に盛り上がったり、脂肪が落とされて引きしまったりするわけではありませんが、筋肉痛になるためには、「それなりのことをした」という結果であることには変わりません。
そういえば、自分のやったことをストレートに自分で感じられるという機会は少ないような気がします。
今までそれなりのことをし続けた結果、今の自分がいるわけです。
でも「それなりのことをした」と自分では、思えないのです。
別に痛くもないし(その当時はそれなりに痛かったのかもしれませんが)、身長が伸びたわけでも、お肌がきれいになったわけでもないし。
社会人になり、サービス業の企画営業をずっとしていると、適当にやったところも、それなりのことをしたことも、どう自分でそれを感じているのか、というか筋肉痛のような実感がわかないことがよくあります。
…なぜだろう
多分それは、現状が、「自分」と「自分の体の筋肉」というような単純な構図に収まっていないからだと思います。
自分と自分以外が複雑にからまっているから、自分のやっていることがどのような形で影響するのか、見えにくいのです。
その結果、自分にはっきりと返ってこないから、やってきた分だけの実感というのが薄いのだと思うのです。
これは、「やまびこ」に似ているかもしれません。
大きな山脈が連なっているほど、あちこちでこだまし、ほんとに自分の声なのかわからなくなります。
それと同じように、自分の周りはいろいろな壁や関係が連なっている分、あちこちでこだまし、自分に返ってくるころには、その大きさも質も変わっているように見えることがあります。
これは自分が投げたものなのかということすら確信が持てなくなり、「これをしたんだ!」と誰が見てもはっきりわかるものがほしくなるのです。
しかし…
土曜日に走って、筋肉痛が激しくなったのは月曜日。
このタイムラグって、もしかして年齢によるもの??
それなりのことをしたということを身を持ってわかるのはありがたいですが、ちょっとさびしさを覚えます。