とあるベンチャーの社長(もう「ベンチャー」とは言えないかもしれませんが)の記事で、トラブルや事故が自分に降りかかった時、「自分の問題としてとらえず、自分が第3者になったつもりで、自分にアドバイスをする」という内容が書かれてました。
テレビで(たぶんNHKの課外事業「ようこそ先輩」だったと思いますが)、子どもたちに自分が落ち込んだりした時、これを見たり聴いたりしたら元気が出てくるものを探して、それを書き出すというのを観ました。
渡辺美里の「My Revolution」(確か作詞作曲が小室哲也だったと思いますが)の歌詞に、
「ほんとうの悲しみは自分ひとりで癒すものさ」とあります。
結局、最後の最後は自分のことは自分でやらなければならないのです。
できないことと言えば、死んだ時に自分の骨を自分で拾うことぐらいかもしれません。
病気になったり、老衰で、自分と他人の区別ができなくなってしまったら、自分のことは自分でできないかもしれません。
元気に生きている間は、ぎりぎりの最後には結局自分でやらなければなりません。
きっと今までそうやって生きてきたはずです。
周りの方々の協力あってこそ生きていられるのですが、とりあえず「自分のことは自分で」してきたはずです。
それなのに社会に放り出されたら、あるいは放り出される前からも、「この会社が悪い」、「環境が悪い」、「憧れる先輩がいない」、「周りのレベルが低い」「目標がない」、「優秀な人が入ってこない」、「親の育て方が悪い」…と周りのせいにする声を聞きます。
ちなみに私がいる会社の社長は、どう見ても人格がないし、人を見る目がないし、思い込みが激しいし、時代が止まってしまってそれから先のことを見ようとしていないし、現場は混乱するし、それが原因で辞めちゃう人もいるし、社長のせいでうまくいかないことが多いのは確かです。
たったひとりの経営者がこんなに影響力を持っているとは考えてもみませんでした。
創立者だし、上場していないし、社外取締役がいるわけでもないし、監査はいるんでしょうけど、とにかくそういう状況だから経営者=社長の影響力が大きいのかもしれません。
それはさておき、周りのせいにするのを聞くと、とても悲しくなります。
同じ状況で同じ環境で、あるいはそれよりもっと悪い状態で頑張っている人やそんなことを全く気にせず明るく楽しくやっている人が聞いたら、どう思うのでしょうか。
愚痴レベルでそういう不平不満、批判を言うのは、全く問題ないと思います。
そういう愚痴から生まれる発見や気分転換は、大事だと思うのです。
でも愚痴ではなくて、本気で心の底から「周りが悪い」と聞くのは、なんだかさびしいものです。
仕事をすると、年をとると、どうしても客観的にならなければならない機会が増え、人の気持ちも自分の気持ちも、言い方が変ですが、冷めた感覚で捉えてしまいます。
ですから「周りが悪い」と言うのが、どんなに周りを傷つけているのか、自分を落としているのか逆に気づかないのかもしれません。
周りが悪いという時間があったら、自分が周りを変えるようにするなり、自分を磨くなり、自分から動くようにします。
自分次第でまだまだ変わるところはたくさんあります!!
もしかしたら私は別の表現で周りを傷つけ、自分のレベルを下げているかもしれません。
…あな、恐ろしや
「他山の石」を忘れないようにします。