#記憶に残ってる学校の先生 国語の先生だった父国語の先生だった父との会話は、本当に面倒くさかった。こちらは一生懸命話しても、「日本語で話してくれ」と、話が通じているのかいないのか、、でも、ある日、と言っても既に私がアラサーの頃、初めて褒められた。日曜日の夕食どきに、勤務先の先輩との電話応対を耳にした父は、「きちんと話せるようになったな」と、うんうんと何度も頷き、満足そうだったw