今日も街歩き。
今日は私が常々引用させてもらってる「1960年代の東京」(池田信撮影 毎日新聞社)の中の、昔の新宿の写真の場所に行ってみたいと思います。
行く前に下調べをしっかりしました(`・ω・´)b
新宿駅南口に到着。
相変わらず多い人(>_<)
甲州街道を東方向に進みます。
ここで先ほど紹介した本からの転載。
新宿四丁目旧旭町の旅館街。1962年(昭和37年)。
場所を特定するのに「地図物語 あの日の新宿」(武揚堂)の昭和25~30年の地図も調べます。
この通りで間違いないと思います。
ほとんどが旅館らしき建物。
これが現在の地図。
そして現地へ。並べてみます。
ちょっと撮影の距離感を間違えたようです(笑)
格安の木賃宿は無くなり、ビジネスホテルがポツポツあるぐらいです。
小さな宿が密集してたのが無くなり、ゆったりとした感じになってますね。
次はこの写真。1962年(昭和37年)。
「1960年代の東京」(池田信 撮影 毎日新聞社)より転載。
ヒントは都電の新宿三丁目の停車場。
昭和25~30年の地図で探してみます。
「地図物語 あの日の新宿」(武揚堂)より転載。
赤丸部分から撮ったと推測できます。停車場がありますね。
この場所は現在、道路が新宿御苑まで抜けてます。
同じ場所。
比べてみます。
軒並み建物が高くなってます。
昭和37年といえば私が生まれる4年前(笑)
そこまで昔という感覚はありませんが(笑) 急激な発展だったんですね。
ちなみにこの同じ場所を振り返るとこんな景色。
新宿御苑の奥にNTTドコモ代々木ビル。
まだ10時前(笑)
次の写真は、
これも昭和37年の新宿二丁目ということなのですが…。
少し前の昭和33年ぐらいまで、この辺りは赤線地域だった場所です。
(同じ本より転載)。
ヒントは、
この銀河というお店と隣の大利根荘。
昭和25~30年の地図で探してみます。
ありました‼
拡大します
銀河と大利根、確認しました(笑)
この赤丸から矢印方向を撮ったものですね。
ちなみにこの地図の左側の薄緑色の部分はすべて赤線で公娼がいたお店や旅館。
銀河や大利根荘もその関係のお店だったのでしょうかね。
昭和37年にも残っているということは、店名は変えずに業態を変えて営業してたのでしょうかね。
比べてみます。
やはり見通せる感じが無くなってますね(>_<)
仕方ないことですけどね。
これで捜索は終了(笑)
せっかく新宿二丁目に来たのだから、ちょっと歩いてみます。
新宿二丁目といえばゲイの方が多いので、写真撮影は細心の注意をしないと怒られちゃうかもですね(笑)
新千鳥街の文字が。
旧千鳥街は先ほどのNTTドコモ代々木ビルの写真の手前の道路のところにありましたが、道路を通すためになくなったのです。
路地的な道。
こういう道は昭和を感じさせてくれますね。
こういうお店も。
昭和ですね~(`・ω・´)b
このあとは小川町まで歩いて都営新宿線で帰宅。
特にいつものルートだったので(笑)
目新しい写真などはありません(笑)
今日の結果。
12506歩。8.02km。
まだ左ひざが本調子ではないです(>_<)