知人のSさんが、写真のグループ展を開くと言うので、入江泰吉記念
この展覧会は今回が7回目ですが、ここ4回ほど見に行っています。グループは、プロの写真家が指導されているアマチュアのメンバーですが、従来の写真(銀塩)をこよなく愛し、こだわりを持って主に自然の風景や花を被写体とされていました。
さてSさんの作品ですが、全紙サイズで2枚出品していました。1枚は、朝日を浴びた浮き御堂を中心に背景の木々や手前の池とともに構成された作品。もう1枚は、琵琶湖畔で写された黄色に映える密生した萱を中心に一羽のカラスのとまった木、背景の山々や手前の小道を収めたものでした。
私は、直感的にSさんの作品が今までのものに比べると、大きく脱皮と言うか違う世界を表現されている気がし、特に後者の葦の作品は今までより一層心に響くものを感じました。後でコーヒーを飲みながら私の感想を話していると、Aさんは意外なことを話してくれました。
浮き御堂の写真はフィルム2本を使って次々と写し、その中で気に入った1枚を出展したのに対して、葦の写真は撮影に出かけた帰路にたまたま出合った風景で、梢にカラスが止まった木が眼を引き急ぎ早に写したというのです。言い換えると前者は写す対象が目の前にあり、それと格闘している感じなのに対して、後者は偶然に出合った一瞬を収めたものという事でした。
見る人によってどちらが心に残るかさまざまと思いますが、私はこれでもかと何枚も何枚も同じ被写体を写した中で選んだ1枚よりも、ある一瞬を1枚で捉えた生い茂った黄金色の萱を写した作品が気に入りました。それが、どこから来ているのはといろいろと思いをめぐらせてしまいました。
うまく表現できませんが、なんと言うか自分の写真テクニックを駆使して、良い写真を撮ると言う姿勢と、自然に出会った一瞬の風景をありのままに写すと言うか、前者は自然に能動的、作為的で作り出すと言う感じに対して、後者は自然に受動的にと言うか、ありのままを受け入れ引き出す感じというか、そんな違いがあるのかとも思いました。
しかし、一瞬を捉えた萱の写真が一層心に残ったのは、それは確かに偶然性があるかも知れませんが、浮き御堂の写真のように自然と格闘して写すことを通じて、被写体を捉える感性と言うようなものが磨かれた中での結果かな、と思うようになりました。
言い換えると、2本で写真を撮る努力と1枚の写真への感性の双方の大切さを思うと、この2枚の写真は、そんな意味で好対照ですが、1対のものかなと感じるに至りました。ですから、“偶然”にシャッターチャンスに遭遇して写した1枚の写真は、“偶然”ではなく必然性があり、心に響くものになったのかな、と帰りの電車の中で一人思いをめぐらせました。・・・そして、これは、写真だけでなく日常遭遇すること全体に通じるのかなとも・・。