ありがたいありがたい。
コムギ(春まき)は8月末には枯れてきていたので、9月上旬に刈り取って干していた。やがてイナキビが熟し、さらにヒエが熟していたので、9月半ばに順に刈り取って干し、追熟させていた。
ほとんど放置されながらもちゃんと実りをつけていた彼ら。…えらい!
収穫したコムギはこの程度。
と、いうわけで、昨日脱穀。
雑穀栽培の師匠・田中さんに唐箕と足踏み脱穀機をお借りし、手伝ってもらいながら作業する。
コムギは脚立にたたきつけて脱穀。
(原始的かつかなり荒っぽいが、これが一番確実)
…って毎回感動するんだよなあ。
ちゃんと粒の重さでより分けてくれるのだ。スグレモノ!
こうして・・・・
無事に20kgくらいのヒエと5kgくらいのイナキビと一つかみ(…)のコムギを手にする。
それにしても、穀物の収穫・調整ってのは、なんとも言えないありがたい気持ちになるもんだな。
まあ自給率で言えば話にならないけれど、ほんの何食分とはいえ、こうして主食になる穀物を自分で作り食することができるのは嬉しいものだ。
「国の食料自給率」なんてのがほとんど無意味な数字だってことは、しばらく前から確信できている。
39%が45%になったら、50%、60%なったら、何かが変わったといえるか?
何も変わらないだろう。ほんの一握りの農家が、今よりもっと大規模化した農地で、輸入した石油をガバガバ使って機械を動かし、極力安い国から輸入した化学肥料をドカドカ入れて農薬をじゃんじゃん撒いて、半ば砂漠化した土地から奪うように作物を得るだけだ。
(そもそもアメリカ西海岸で収穫した食べ物をニューヨークのオフィスで食べて「自給!」だなんて、どう考えたって「そんなバカな!」って話だろ)
「北海道は食料自給率200%」だって・・・?
「北海道は日本の食糧基地」だって・・・?
言い方を変えれば、「北海道は今でも植民地」ってことじゃないか。
低開発国のプランテーション、高開発国によってモノカルチャー化させられた農業を否定し、グローバリズムに反対し、自給的農やフェアトレードの必要性を訴える善良な?人たちもわかってない現実。
「消費者」はもちろん気づかないし、農業関係者は尚のこと公に決して口にしないけれど、どう考えたって北海道の生産者=農民は、都市生活を送る「消費者」の奴隷的存在じゃないか。
中島正さんの『みのむし革命』(農民は都市生活者に作物を売るのをやめよ!と訴える革命的な書)は、今じゃ「それなら安い国から輸入するまでだよ」と一笑されるだろう。
けど、“安い原料を使い、やすい労働力で安いものを大量に作って売って消費させ続ける”グローバリズムの先が行き止まりだってことくらい、よく考えればわかることだろうと思う。そもそも「搾取」を前提とした構造なんだから。
100年先まで、そんなやり方でやっていけるはずがない。
数字で表される「自給率」なんて、どう考えてもあまり意味はない。
国の自給率はもちろんのことだ。しばらく前までは自己自給率向上が目標だったけど、それも今はどうでもいい。
自分一人でできることなんてたかが知れてる。自給自足なんてつまらない。何%自給できてるかなんて数字にこだわると、本質を見失う。
大事なのは、物質・エネルギーの循環を理解し、イキモノである自分を感じることだろう。それが、「自己家畜化」を脱し、「自給力」を身につけることだって気がする。
つまり、喰うことの由来を体感できていればいい。
この冬には、採れたヒエで是非ヒエ酒を作りたい。アイヌの人々も作っていたものだ。
もう少しでタカキビやハト麦も採れるだろう。ほとんどダメだと思った陸稲も、茶わん2杯くらいは採れるだろうか。ダイズはかなり採れそうだ。
うん、良い粒を種にして、来年もまた播こう。
「ありがてぇ」と「ワクワクする」気持ち、まずは、それがあるから十分だ。








