NHKラジオ講演より

講師:正念寺僧侶 川村妙慶 


 私たちは生きる上で心の支え「拠り所」を必要とします。
 仏教の法話の中に、次のような話があります。
 ある時、お釈迦様の弟子たちは「私たちは何に頼って生きていったらいいですか」と聞きました。

お釈迦様は4つの拠り所の話をされました。


①法に依りて、人に依らざるべし 
②義に依りて、語に依らざるべし
③智に依りて、識に依らざるべし
➃了義経に依りて、不了義に依らざるべし


以下で説明します。


1 「法に依りて人に依らざるべし」 

 人に頼るのではなく、仏法に頼りなさい。
 つまりお釈迦様は「私という人間に頼るのではない。私は生きていく上での大切な仏法を伝える媒介者であり、私が偉いのではない。」とおっしゃている。
 人間の考えや感覚は日々変化します。人は絶えず変わり続けます。
 自分の気持ちや価値観だって変わることがある。特定の人を絶対化してその人に依りかかる生き方をするとって自分を見失ってしまうことになる。
 お釈迦様は、変わることのない仏の教えに出会ってほしいと願った。


2 「義に依りて語に依らざるべし」
 人は指を指(さ)して「あそこに素晴らしい月がありますね」と教えようとします。しかし表面上に言葉だけにこだわると「私の方がもっと上手に表現できるのに」と人の表現力そのものを批判してしまう。
 人は相手の言葉ばかりにこだわって、なぜ真実である月を見ようとしないのか。
 大切なのは教えの内容です。表面的な言葉にたよってはならない。

 ことわざに「坊主にくけりゃ袈裟まで憎し」「罪を憎んで人を憎まず」というのがある。
 個人的な感情と「教え」とは別のものとしてみることが大切である。
 言葉の技術ではない、教えの中身に出会ってほしい。


3 「智に依りて識に依らざるべし」

 生きるために知識を得ようとする。しかし知識が全てではないのである。
 頭で理解したことが全てではない。知識だけを身に付けると、全てに対して答えをだすようになり、合理主義的な発想しか浮かばなくなる。
 「これは良いけれど、これは悪い」と物事を比較するようになる。
 「これは良いこれは悪い」ということは、どちらかを切り捨てることになる。すると、博学で要領がよく賢い生き方をする人が善しと評価され、それ以外が認められない○×の関係になる。そのため、人は答えだけを身に着けようとする。

 答えをだすということは、全てを完璧に生きようとすることです。もしもそのとおりにならなかったら、いきづまってしまう。
 そうではなく、全ての命の尊さや存在を教えてくれる真実の知恵をしっかりと身に付けて欲しい。


4 「了義経に依りて不了義に依らざるべし」

 義とはものの道理で了義経とは真実の教えとうといもの。人間はあるていど学ぶと、勝手な理屈・勝手な解釈をするところがある。
 そうした勝手な解釈によって、人の心を計ろうとするのは危険なこと。
 賢いのがよいのではない。そもそも人間は尊いのです。


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