端午の節供が男の子の節供になるのは、武士が天下を取る近世以降である。
それまでは、むしろ女の節供だった。
これは田植えと関係がある。古代では女性が稲を作っていた。
五月を「さつき」と言うのは、「早苗月(さなえづき)」の略であり、同じく「早乙女(さおとめ)」と言うのは「早苗乙女(さなえおとめ)」の略である。5月は女の月なのだ。
どのような事をしたかというと、「女の家」を設け、そこで一晩忌篭りをして身を清めた。
この忌篭りは、5月の最初の午の日に行われ、「女の家」の屋根は邪気払いのため菖蒲と蓬(よもぎ)で葺いた。
これが端午の行事のはじまりである。