人は誰しも孤独を感じる。
孤独をどう感じるかは他人それぞれであるが。
問題は、社会の中の孤独いわんや孤立。
精神的にも肉体的にも苦しむのが、社会的な孤独、孤立
これは、どうしたらこうなるのか、至って不思議だ。
よく私自身孤立を感じる。
最近では自殺も考えたこともある。
居場所がないのは苦しい。精神の拠り所がないのも苦しい。
単なる思い込みか、否か。
数年間生きてきて、常に孤立と向き合ってきた。
中学校の時、高校の時、大学の時、フリーターの時
原因は解らないが、社会の中で、その人間性を否定されてきた。
多分、いやかなりの確率で自分が悪い、だから自殺したいと思う。
悪の自分を滅すれば、正義になる。
そう確信する人が、自殺をするのか。
自分が悪い、解っていても原因がつかめない。
本気で悪いと思っているのか。
思っているが直せないのである。
意識して直るものではない。ということは
無意識の中に潜んでいる可能性がある。
無意識は認識できないだろう。
しかも、悪が無意識の中にあるとしたら・・・
気づくわけない。
だから、生きて悪を全うする。
自分の存在が悪なのである。
悪を為したくはない本心がある一方で、社会的には私個人悪と規定される。
善を行う必要性が感じられない。必然である。
犯罪に手を染める。これ必然。
最終的に収まるのが、絞首台。社会的に抹殺されても、その個人は・・・
運命と認識し、従順する。
でも、私はこうはなりたくない。
何をやっても、愛されないで阻害され、後ろ指を指されては、笑われる対象であるが。
この言葉を思いだしては病まないのである。
「優れたパフォーマンスを達成する人は、勇気と忍耐力の持ち主である。 犠牲を厭わず一心不乱に努力を重
ね、目的に向かって真っすぐに 自分との孤独な戦いに耐える人である」 ブルーム(教育心理学者)
結局、孤立は自分の意識の中にある。
孤立は自分の中で感じ取ることによって認識できる。
嘘をつくな。
事実関係から認識できても
自分を責めるな。
戦え、逃げるな。
今、孤独や孤立を感じている人へ
あなたは、間違っていない。
正しすぎたのである。
中途半端に歩みを止めることなく、泥沼に入っても
その歩みを止めないことを誓ってください。
なにより生きること、そして信念を貫くこと。
相手に理解を求めない、理解させろ。
昔、ソクラテスもキリストも正しいことを行って、罰せられたのである。
本当に正しいことは個人の道徳にあるのかもしれない。
倫理に魅力を感じない、当然である。
正しいとされる人を罰する社会において、社会を善くしていこうとする倫理は、
まさしく偽善他ならない。
最終的には個人の道徳に帰着させる。
これぞ「善」であって、定言命法が適当だ。
倫理における仮言命法は、よもや善ではない。
個人の良心だけで十分、社会など考えなくていいのだ。
「ああ 徳よ、素朴な者の崇高な学問よ・・・・・(中略)・・・・それを学ぶには、自己を省み、情念をしずめ、良心の
声に耳を傾けるだけでいいのではあるまいか。これこそ本当の哲学だ。私たち平凡な人間はこういうことで満足
することにしよう。・・・・」 ルソー 『学問芸術論』
個人の良心もそんな難しく考える必要があるものか。
社会のことを頭に入れずに、ただ良心に従いなさい。
良心は、耳を傾けるだけでも充分、宗教の偏見に捉われず、いいなと思ったものを人生に活かしなさい。
私は、このルソーの言葉に深く感動を覚えた。
つづく
のか?