日本の平和を守ろう
私の父は、1923年大正12年生まれである。20年ほど前、私は父の小学校の同級会の名簿作りを手伝った。父が作成した原稿をワープロで清書する。その原稿を見てたいへん驚いたことをはっきり覚えてている。
それは名簿の住所の欄に、戦死 と書かれている男子が何人もいたことである。男子のうちの約1/3以上に戦死という文字があった。
知識としては十分に知っていたつもりであるが、その暗黒の時代の絶対に動かぬ悲しい証拠を目の前にぐいと突きつけられたようでたいへんショックだった。
父は、太平洋戦争が終わった1945年昭和20年には22歳。2歳年上の父の兄のクラスでは戦死者がもっと多いらしい。クラスの半数以上の男子が戦死しているということを父が話してくれた。
私と妻とは小学校の同級生であることから、しばしば同級会の幹事をさせてもらう。回を重ねる毎に病気や不慮の事故で亡くなった同級生が一人二人と増えていく。あいつが死んだ、あの子が死んだ という知らせをもらうたびに、たいへん悲しい気持ちになる。同級会の案内状の返信を遺族の方から頂く。そこに生前の親交に対するお礼の言葉が添えられていたりする。彼、彼女とはもう会えないという寂しさと同時に、人生半ばにして逝ってしまった同級生の無念な気持ち、愛する息子や娘を亡くされたご両親・ご家族のお気持ちを想うと、涙が出てしまう。妻にみつからないように拭く。科学がめざましい発展をとげた今日であっても、重い病に冒された身体、深く傷つけられ身体は、簡単には治らない。人が努力に努力を重ねても救うことのできない、救われないいのちがたくさんたくさんあるのだ。
「敵と戦って死ぬことが名誉である。」「生きて虜囚の辱めをうけるな。」そんな軍国主義思想で塗りつぶされていた父の青春時代。しかし、死に対する人の本当の気持ちというものは、今の私達のそれと変わらないと思う。死にたくない。死なせたくない。死んだなんて信じられない。人が人である限り、太古の昔からどんなに時代が変わろうとも、不変であると私は思う。だから、戦争で亡くなった若者の気持ち、戦争で息子や娘を亡くした親の気持ちは、私達にも想像がつくはずである。
戦死とは、病気や事故で死ぬのではない。国の徴兵制度によって無理やり兵隊にされ、国の命令により、他国の国民を殺しにいく過程で、逆に自分が殺されてしまったということである。
国が国民に人殺しを強要し、いのちを捧げよという、そんな野蛮なことは二度とあってはならない。
子どもや孫、ひ孫、そして彼らの愛する人たちを、戦場に送るわけにはいかない。
誰一人として、戦死させてはならないと思う。
自民党憲法改正草案1次案が2005年8月1日に発表された。
「侵略から我が国を防衛し、国家の平和および独立・国民の安全を確保するため自衛軍を保持する。」
と書いてある。とんでもないことである。
と同時に、現政権党が発表した『改憲草案』であるという点において、身の毛のよだつほどの恐ろしさを覚える。非常な危機感を持つ。
国の防衛とは、国家の平和とは、なにか。厳しく問われなければならない。
国民に鉄砲を持って人殺しを強要する軍隊を保持することが、国民の安全を守る方法ではない。
むしろ反対に、軍隊とは、国民のいのちと小さな幸せをも奪うものである。
それは、父の同級生名簿からも、明白な真実である。
鉄砲で国民のいのちが護れるはずがない。鉄砲は人のいのちを奪う凶器だ。