2018_8_9
ふた月前に大きな地震があった。
震源地は仕事場から数キロ地点だったけど、幸運にも自分の周りの人たちは大きな被害もなく、日常生活に不自由することはなかった。
そのあと一ヶ月もしないうちに、災害規模の大雨が降り、多くの人が不自由な生活を強いられていたけど、
僕たちは、僕は普段と変わらない時間を過ごしていた。
ふと考えた。自分には失うものが何もないことに気付かされた。何かを失うためには、それを持っている必要がある。
何も持っていない僕には、失うことの悲しさは計り知れないな、と思った。考えているうちに夏が来た。
最近、僕は若い人たちと接する機会がかなり増えていて、この子達の考えていることがわからない、と感じることが多くなった。
正確には、なんとなくわかるけれど、自分の感覚では理解できない。
早くもジェネレーションギャップだろうか、それとも時代の流れだろうか。
ただ、確実に自分が今まで生きてきた中での感覚はそのままでは通用しないと感じた。
人に、これから来る時代の波に合わせるのも大切かもしれないけど、それは自分の考えを持ってこそ活きるものであって、ただ流されるだけなら誰にでもできる。
大事なのは受け入れて自分の一部にすること。
ただし、曲げてはいけない、自分の大事な心も確かに持っていないと、現在地を見失いかねないので、注意が必要。
時々、なんで生きているのかわからなくなるから、もっとしっかり自分を持たなくては。
しばらく暑い日が続くはず。暑いのには慣れている。なので、そうじゃない人たちのことをちゃんと考えることにする。
自分ができることは、必ずしも誰もができるわけじゃない。そういう考えが少しずつできるようになってきた、今日この頃。
夏はまだ続く。