いまさら申し上げるまでもなく、暴排条例が全国で施行され、メディアでも大きく取り上げられている。内容や、実際の影響について様々なことが言われているが、「当のご本人」のインタビュー記事が出ていた:




全国で暴排条例施行「異様な時代が来た」

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111001/crm11100112010000-n1.htm



”-全国で暴力団排除条例が施行されるなど暴力団排除の機運が急速に高まっているが、どのように捉えているか


 異様な時代が来たと感じている。やくざといえども、われわれもこの国の住人であり、社会の一員。昭和39年の第1次頂上作戦からこういうことをずっと経験しているが、暴力団排除条例はこれまでとは違う。われわれが法を犯して取り締まられるのは構わないが、われわれにも親がいれば子供もいる、親戚もいる、幼なじみもいる。こうした人たちとお茶を飲んだり、歓談したりするというだけでも周辺者とみなされかねないというのは、やくざは人ではないということなのだろう


(中略)


われわれは日本を法治国家と考えている。俺自身も銃刀法違反罪で共謀共同正犯に問われた際、1審では無罪という微妙な裁判だったが、最高裁で実刑判決が確定した後は速やかに服役した。法治国家に住んでいる以上は法を順守しないといけないとわかっているからだ。今回の条例は法の下の平等を無視し、法を犯してなくても当局が反社会的勢力だと認定した者には制裁を科すという一種の身分政策だ。今は反社会的勢力というのは暴力団が対象だが、今後拡大解釈されていくだろう。 (後略)”



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まぁ、こういう言い方もなんだか、さすがに何にせよ巨大な組織の長に立つ者、は至極真っ当な表現をされる。



この表現を借りるならば、そう、既に時代は「暴力団(員)は人ではない」ということを明確に宣言した、と言うべきである。法治国家だの、法の下の平等だの、そんな高等な概念を駆使して批判するべきではない。



ハッキリしておかなければならないのは、暴力団はもはや、ヤクザとか任侠ではない、ということだ。



カタギの人に手を出してはいけない』という清水次郎長からのヤクザのルールを破ったのは彼らである。銃器犯罪にせよ、違法薬物にせよ、あるいは近時では「振り込め詐欺」などの経済事犯にせよ、彼らが明確にカタギの人間を標的にした以上、カタギの人間としてはそれ相応の対応をする、ということに他ならない。



再び妙な言い方になるが山口組はじめ、暴力団が『カタギの人に手を出さない』というルールについて、ガバナンスが自信をもって貫徹出来ないのであれば、彼らは解散すべきである。