今日は所用で銀座をぶらぶらしたが、例によって反原発の連中のデモに出会う。今日のは、「反米」を掲げ、右翼なんだか親中派なんだか訳のわからない連中が主導していたが、人数は小規模に留まっていたようだった。迂闊だったが、今日は(正確には日付の変わる前の日曜日)原水禁大会があったらしい。




原水禁大会、フクシマで初開催=脱原発訴え、デモ行進も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110731-00000065-jij-soci


”広島、長崎の「原爆の日」を前に、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の世界大会が31日、福島第1原発事故を受けて福島市で初めて開かれ、国内外から約850人が参加した。原発事故による放射能汚染への不安が広がっているとし、原発廃絶を訴えていくとするアピールをまとめた。参加者らは大会に先立ち、市内をデモ行進した。
 大会では、原発から半径20キロ圏内の福島県富岡町に住み、反原発運動を続けてきた市民団体代表の石丸小四郎さん(68)が「放射能によって何の落ち度もない人が全てを放棄し、故郷を去り、子どもまでマスクをして逃げている」と被害の大きさを強調した。
 長崎の被爆者団体やチェルノブイリ原発事故で被災した子どもの支援に取り組むロシアのNGO、ビキニ環礁での水爆実験で被ばくした第五福竜丸の元乗組員も出席した。
 原水禁の川野浩一議長は「原発事故は福島を最後に。ノーモア・フクシマを叫びましょう」と訴えた。”



この団体の真摯さ、については様々な理由から留保せざるを得ないが、参加者人数からしても、大きな広がりは示さないと思われる。



それはさておき、このことは何度か触れているが、福島の人たち、を含めて、一方的な被害者として取り扱われることについては、懐疑的にならざるを得ない。



もちろん、選挙権のない未成年者たちや、選挙権を得て間もない若い人たちは除くが、現在、あぁだこぉだ言っている人たちの大半は、何度となく、「選択の機会を与えられてきた人たち」である。理由・背景は様々だろうが、結局のところ、原発を受け入れてきたのだ。民主主義の下、彼らは何の落ち度もない人、ではなく、最終的な責任者でしかない。



佐藤栄佐久・前福島知事が色々発言をしているようだが、例えばこんな引用がある:



”知事辞任により、福島県内の原発推進に対する歯止めはなくなった。たとえば福島第一原子力発電所が所内にプルサーマル型の発電所を建設する計画(3号機)について、後任の佐藤雄平知事は2010年8月に受け入れを決定したが、佐藤栄佐久によれば安全性等に関する議論は県議会でもほとんど無かったと語っている。”

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%90%E4%B9%85



Wikipedia情報なので、真偽は留保するが、じっさい、県議会でキチンとした議論が為されたとは思えない。その程度の県議たちしかいないだろうから。あまり政府対応をどうこう言えた義理もないのだ。

結局のところ、有権者たちが自己判断能力を欠き、そうした人たちが、更に自己判断能力を欠いた代表者を選び続ける限り、何の進歩もなかろう。



落ち度はやはり、ある、としか言いようが無い。