昨日の九州電力・やらせメール問題、についてのエントリに対して、幾つかコメントを頂戴している。


その中に、電力会社の地域独占を許しているのは解せない、とするものがあった。発電・送電の分離、など最近日本でもこのような議論は盛んになっていると思われる。


しかし、今の議論は、どちらかというと、東電・福島原発問題に端を発し、「東電なんて嫌いなのに、どうして東電から電気を買わなきゃいけないの?選択の自由があればいいのに」という比較的、感情的・単純な議論に思われる。



若い人たちはご存じないだろうし、同年代以上の人たちでも忘れている(あるいは、海外のことなど余り知らない)という人たちもいるだろうから、ここで、注意喚起をしておく:



カリフォルニア電力危機


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E5%8D%B1%E6%A9%9F



詳細についてはwikipedia記述をご参照願いたいが、米国における電力自由化に伴い、停電が頻発した事例である。また、米国においては、これだけが要因ではないが電力会社の経営破たん事例がいくつもある。



気を付けなければならないのは、いつの時代でも、どこでもそうだが、慈善事業で電力供給しよう、という人はいない、ということである。



電力自由化、は必然の結論として、電力価格の市場化(単純に需要と供給で価格が決定される)を必要とし、電力消費者としては、電気料金の高騰がありえる、ということを覚悟しなくてはならない、ということだ。



類似の事例としては、ガソリンや灯油などがあるだろう。これとて、ある程度は規制があるが、電力に比べれば自由度は高い。どの石油会社のガソリンを買うか、どのガソリンスタンドでガソリンを買うか、は全く消費者の自由に委ねられている。安いスタンドを探して、結構、遠くまでガソリンを入れに行く人だっている。



あまり問題にならないのは、電力に比べればクルマ乗ってないから関係ないし、という人たちが多くいるためだが、自由化による電力価格高騰の覚悟があるのか?を自らに問うてから、自由化を要望すべきだ。