珍しく、梅雨入り宣言のとたんにジメジメした鬱陶しい天気になり、気分も陰鬱になってしまう、今日この頃。ちなみに、「鬱陶しい」は「うっとうしい」で変換されるが、感覚的には「うっとおしい」の方がしっくりしますな。


しかし、この陰鬱とした感じも日本文化の一つの側面であり、よく言われるロンドンの天気の悪さとイギリス人の陰湿さとの相関性にも似て、だからといって、否定も出来ないところ。



鬱陶しさ、という意味では、地震復旧・復興や原発・放射能関連の議論も益々混迷しており、まぁ実にいろいろな人が色々なことを言ってくれるので、しかも大半が、「はぁ?」という論調なので、これまで陰鬱になってしまう一つの要因。



もちろん、菅政権・民主党政権の余りの酷さは、こいつら何回殺しても殺したりないと感じてしまうレベルになっており、まぁある種、テロリストの感覚も分からんではないくらいなのだが(もちろん、実際に行動には移しませんが)、一方で、犯人探しとか、神経質すぎる放射能アレルギーの論議にも辟易はする。



安易にアメリカ化、という表現はすべきではないが、誰か・何か、が一方的に悪で、勧善懲悪の単純明快なストーリーを好むようになってしまった日本人というのも実にアホらしい。戦後で言えば、水戸黄門などはいまだに続く長寿人気番組だが、あれも実に本来の日本文化とはかけ離れていて、日本人をアホにした一つの戦犯でもある。



本来の日本文化は、アメリカ以上に極度にプラグマティックで、教条的な原理原則を嫌い、何においても’現実的な’’あいまいな’解決を好む。誰か、なにか、が一方的に悪で、それに対して勧善懲悪で対峙する、ということは少ない。古いところでいえば、平家物語は、大半が平家の「久しからざる驕り」に対する源氏一派の蜂起とその大躍進の物語でありながら、その実、タイトルは平家の物語であって、ベースラインとしては平家の凋落を物悲しく(まさに、琵琶法師の琵琶の調べに乗せて)語り継がれてきたものだし、判官びいきの語源ともなった義経の悲運のオチまで付く。そして、極めつけは赤穂浪士で、どんだけいじめられたか、いびられたかは今となっては真実は分からないが、江戸城内で上役を切りつける、という「違法行為」で許容されるべくもないのに、主君のために反乱する方が人気を得る。なお、吉良上野介は地元では名君の誉れが高い。



世の中、100%良い人も、逆に100%悪い人も、なかなかいる訳もなく、また理屈を言ったところで理屈通りに世の中が動く訳でもなく、偶々時の運もあって・・・と感じるところが、まさに、「ワビサビ」だった筈なのにねぇ。



これが江戸後期の国学と、時代が混迷した環境において、下級藩士たちが目立つ(理の立つ者、というよりは、勢い~これは一方で馬鹿の特徴でもある~に勝った者)ところで、尊皇攘夷から尊王討幕へ当に180度「ブレ」た人たちによって明治維新が成立する。このあと、反政府が一方的に悪者扱いされる、極めて単純な勧善懲悪路線が始まる。



また、戦後においては恐らくハリウッド来襲が大いに影響したと思われるが、この傾向に拍車が掛かる。いわゆる、自虐史観というのも、コンテクストとしては同じ土俵に乗ったまま、戦前の日本が一方的に悪かった、いや一方的に悪くなかった、という論調だ。現実には、51%悪くて49%悪くなかった日本が、51%良くて49%良くなかったアメリカに敗けただけのことなのだが。



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今回の原発・放射能騒動も、この路線上の議論だ。被曝・・・と声高に言う人が多いが、長命化によって、日本人の半数がガンになる時代に、統計的に有意かどうか極めて曖昧な放射能恐怖が席巻する。



日本の政府は・・・日本のメディアは・・・と言う人たちがいるが、事情は大してアメリカでも違わない。そもそも、日本のマスメディアは戦後アメリカ流の新聞・テレビジャーナリズムに追随する手法で悪化してきた(近時のニュース・ワイドショーも同じ)。



アメリカでは、嫌煙運動が高まるが、違法薬物は野放しだし、そもそも、どんなに大量乱射殺戮事件が後を絶たずとも銃規制は一向に進まない。福島原発被曝を恐れて、アメリカに逃げたら銃で撃たれて死ぬ確率の方が圧倒的に高いだろうに。



ヨーロッパでも脱原発が・・・とドイツやスイスを引き合いに出すが、そもそも気象条件が違い過ぎ、余り夏場の冷房を要しない地域だし、だいたい、フランスの原発由来の電力を買っている立場で、自国だけ脱原発というのも虫が良すぎる。



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間違いなく言えることは、馬鹿でいる方が気楽に生きられる何ともいえない時代になってしまった、というところか。