日付が変わっちゃいました。昨日書いた記事については、予想通り、賛否両論あるようですが、いまだに私には夫婦同姓を「強制すべき」理由が見当たりません。
色々コメントを頂戴し、考えている中で、そういえば思い出したことがあったので、忘れないうちにご紹介しておこうと思います。
今、議論しているのは法的に言えば 『民法 第四編 親族』 で習うところなのですが、民法上は夫婦が同姓である必要性を規定していません。
”民法 第739条 第1項: 婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる。”
で、ここで戸籍法が:
”第74条: 婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない。
となっているので、どちらかの姓にしなくてはならない、という建て付けです。
ところで、東大ではこれらを本郷で民法第4部(家族法=親族及び相続)として習うのですが、そのとき、聞いた話。。。
恐らく一般的には 「子どもの認知」 というと、本来、お父さんが作っちゃいけない女性との間で子どもが出来ちゃった場合に。。という認識でしょうが、戦後暫くするまで、一部の地域ではこれが結婚した夫婦の間で利用されることが多かった、と。
もちろん、今のように”出来ちゃった結婚”が多かったわけではなく(無いとも言わないけど)、世間的にはちゃんと結婚しているんだけど、婚姻届が出されていない、籍が入っていない、というケースが少なからずあった、とのことです。
この背景に、嫁を貰ったんだけど、貰った嫁が子どもが出来るかどうか分からない。で、子どもが出来るまでの間は籍を入れずにおいて(意図的に)、子どもが出来たら籍を入れる。要は、暫くしても子どもが出来ないと実家に追い返す、でも、その時に男の方の戸籍は”汚さない”ための慣習だったそうで。。。
当然、子どもが生まれたときには籍が入っていないので、いわゆる婚外子として、認知しないと父親との間の親子関係が法律上発生しない、と。
まぁ、今の感覚で言えば酷すぎる、という一言の慣習ですが、真剣に一部の地域では「伝統」だったんですよね。
そう考えると、別姓選択制に反対される方々が持ち出される『伝統』っていったい何だろうか、と思うわけです。
最後に日本国憲法を引用しておきます(『伝統』を持ち出される方々はこれも嫌いなのかもしれないけど)
”第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
両性が自由意思で別姓に合意するのであれば、法律はそれを尊重してもいいんじゃないかな、と。