さて、書きたいことの一つはコレです。




自民党が大コケしたこともあり、一部では”保守”回帰だのナンだの、という議論もあり、さてでは「保守主義とは何か?」のような観念的議論も見受けられます。




イデオロギーの終焉」とは、ダニエル・ベルが1960年に出版(日本語版は69年の模様)した書物で、ベルリンの壁の崩壊、共産主義国家の終焉を受けて現実化した80年代-ちょうど私の学生時代-にも読まれた本だろうと思います。




実際に日本においても55年体制が崩壊した今、再びこのイデオロギーについて考える機会は増えているものと思われます。そもそも、必要なのか?不要、というか、寧ろ悪なのではないか?等々。。




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この夫婦別姓問題も、家族制度の在り方、という観点で議論され、大方の人が ”保守 or 革新” という分類の一つのテストとして、考えられるのかもしれません:





千葉法相が不快感 「そっちの心理がわからない」

 夫婦別姓反対の亀井金融相に

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091016-00000553-san-pol




”千葉景子法相は16日午前の記者会見で、亀井静香郵政改革・金融相が「姓が別でなければならないという心理がよく分からない」として選択的夫婦別姓制度導入に反対の姿勢を示したことについて「逆に、そっちの心理が分からないという方もいらっしゃる」と述べ、強い不快感をにじませた。


 千葉氏はその上で、夫婦別姓を可能とする民法改正案に関し、「多くのみなさんの声もありできるだけ近い国会というのが私の目標だ」と強調。来年1月召集の通常国会への提出に改めて意欲を表明した。亀井氏に夫婦別姓制度への理解を求める考えも示した。”




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私に言わせれば、亀井大臣は保守、というよりも、単なる 【懐古主義者】 にしか見えないのですが。。。




私自身、自分は保守的である(少なくとも現時点で)、と思っていますが、寧ろそれよりも、実利主義的(プラグマティック)と言った方がいいのかもしれません。自分自身、別に夫婦が強制的に単一の姓であるべき、とは思えません。



どちらかというと、家族価値(family value)は内心の問題であり、社会制度でこうだから、と強制したところで意味はないと思います。現実に単一の姓を名乗っていても、内実は崩壊している家族、もあるのですし、結婚などで姓が違っていても、親戚縁者で広い家族意識を共有していることも未だ多いところもありますし。




ただ、これが単なる民法改正で、時の政権によって変更されるべき問題、とは思えません。制度変更をするのであれば、より安定的であるべきと。




従って、寧ろこの問題は単に民法改正手続で進めるのではなく、国民投票で決めるべきでしょう。




こういうとナンですが、ちょうど国民投票法も出来たことですし、憲法手続ではなくとも実際にこの法律が機能するのかどうか、テストしておく必要もあります。




さて、皆さんはどう考えられますかね?