やはり、国家教育の目的はこれに尽きる。



国が定めたルールを国民に守らせるためにある。←そんなの当たり前じゃないか!と怒られそうだが^^;



しかし、多くの国民は、この時点で、主権は国民にないことを意味していることに気づかないのだ。



主権とは・・・・法律を作る権利でもある。つまり、国民に主権があるということは、法律を作って国家を統治する権利を持つということである。それが法治国家の習いだ。



しかし、実際には国家が法律を作り、国民は守らされる。不都合な法律であろうと、窮屈な法律であろうと・・・



法律とは、国民が生き易くなるように変えることが最も重要であり、理想を言えば、最終的に法律はこの世からなくなること。我々を拘束する決まりを撤廃できることである。残った法はシステムとなり、単なる手順を自動的に実行することになる。



そういう理想的な世界を実現するには、法を守る意識を育ててもダメなのだ。法は、主権者自ら考え変えていくものでなければ、国民生活は楽にならないのだ。



しかし、法がなくなることは最終的に国家が消えることになる。でも、それを恐れてはいけない。遠い先祖には国家なるものはなかったのである。国家自体も誰かが考えて作り出したものであり、成長の一段階に過ぎない。その一段階に固執することは人類の成長を阻害する。



我々は、この状況が最終地点ではない。理想というものがある限りいくらでも成長できるのである。



夢のような世界は必ず実現できる。夢とは、神が与えた人類の最良の力である。それがあったからこそ、我々は今ここにいるのである^^