軽薄な記事だ。薄っぺらいとしか言えないのが残念だ。
この程度の認識で、大きな新聞社の主張として成り立つのが不思議でならない。
善とは死である。悪とは生である。
入試カンニングが、果たして合格のためにいかなる効果を得たのかは疑問である。それは、カンニングした答えが間違っていれば意味が無いからだ。本来、カンニングとは、絶対に正解を答える人物の答案を見ることである。そうしないと目的は果たせないのだ。つまり、これは善悪の問題ではなく、結果を得る方法の間違いである。
ネット上の第三者が正解を書くかどうかは不明だ。それに賭けるという事は、リスクが大きい。そして、公になるリスクが高い。そして何より、そういう事に時間を費やすことが無駄である。大学入試程度になると、試験時間が足りないのが普通だ。写真を取ったり、サイトをチェックしたり、その回答を写したりする時間と労力はもったいないのである。
これは、善悪の問題ではない。効率の問題なのである。このように何でもかんでも善悪に置き換える単純な知性ほど怖いものはない。善悪を唱えるのは宗教であり、善の信奉者は裁く者である・・・つまりは神だ^^;この発想が人と人との絆を奪い、いつまで経っても国民同士が反目し、政府によって奴隷化される状態を改善できない理由の大きな原因である。
それは善ウイルスに犯された哀れな人間であるというべきかもしれない。支配者達に言いようにこき使われつつ最後は孤独死する運命に自分を追い込むことになる。こういう支配者達の僕によって我々一般の人間は苦しめられるのだろう・・・・きっと。しかし、彼らとて決して安住の地はないことは、孤独死がそれを明らかにすると思う。人々が善悪ではない価値基準を持つとき、世界はこの2000年の呪縛から解放されると思うのだが・・・・
ちなみに、こういう記事を掲載した地方紙がある「本田宗一郎とカンニング
」問うべきは、常に問題の本質であると思う・・・