カダフィ大佐にしろ、我が国の菅大将にしろ、政権への執着心は一体何を意味するのだろう・・・・
人は何のために生きるのか?という人間が持つ最大のテーマ・・・常に、この問いを迫られるはずだ。
例えば、私がカダフィ大佐だったらと考えると、恐らく当の昔に辞めている。菅総理だったら、マニフェストが実行できないと確認した時点で辞める。←もちろん、あんなチンケなマニフェストなんか作らない≧(´▽`)≦アハハハ 想像を絶するような道楽マニフェストしか作らないが^^;
細かいことは分からないが、一つだけ言えることは、彼らが幸福ではないということだ。幸福=満足=執着しない=怒らない=無気力^^;かな・・・・以前にも書いたが、何故、政治が人を幸福に出来ないか・・・やはり、それは為政者達が不幸だからに他ならないという結論に達するのだ。幸福を知らない人が幸福な社会を築くことは出来ないという根本的な間違いが起こるのだ。
菅さんは「最小不幸社会」という視点である。つまり、不幸しか目に入らない人なのだ。結局、不幸しか目に入らない人には不幸しか訪れないということだろう。
困った現実ではあるしが、絶対に改善できない現実である。幸福という感覚は、満足であり不行動になるのだ・・・・「いいじゃないの^^」っていう感じである。そういえば、昔の歌に「いいじゃないの・・・幸せならば」ってのがあったような。
この根源的問題が意味するのは・・・・政治が不要、国家が不要ということになる。人が生きる目的に沿わないものはいずれ省かれる。後は、いつそのことに気づくかだけである・・・・