ノブレス・オブリージュ という言葉を久しぶりに見た・・・・懐かしい響きに聞こえた。
これがあれば、全ての問題が解決すると思ったこともあったが、今は違う。これは、そういう理想的な意味合いではなく、単に現実をさす言葉であると思っている。こうあらねばならない・・・では、なく、こうなのだということだ。
地位が高い人ほど責任が重い・・・という事実なのである。
例えば、一国の総理と一国民では、その責任の重さが違うことは誰にも分かるだろう。その総理が、その責任に見合わない行動を取ると、無責任と言って非難するのだ。
しかし、果たして、一国民と総理の違いは何なのか・・・?と聞かれると、明快な答えを出せる人がいるのだろうか?そうなんですよ。同じ人間として・・・っていうように違いはないのです。
単に、国政選挙で選ばれて運良く総理になったに過ぎない。例えば、国民をトーナメント方式で全員戦わせて優劣を競ってチャンピョンになった・・・・なんてものではないということ。
はっきり言えば、そういう人が国家の責任を担えるわけがないということです。ただ、現実として、一国民よりはとてつもない大きい責任を背負わされている。その状況自体がノブレス・オブリージュということなのです。
君主制においては、君主が戦ってその地位を得、政治の失敗によって、また、戦の敗戦によって、その地位を失う。という責任の裁きを受けるのですが、民主主義においては、国民からの信任という投票行動によって、免罪符を公布されているわけなのです。
言い換えれば、背負える責任ではないものを、便宜的に背負わせているという形になっているのです。そして、本当の意味での責任は、主権者たる私たちに全て降りかかっている。要は、そのことが一番大事であるということだと思います。
主権者とは、最終責任者であり、国家における君主である。つまり、政治家や官僚というのは、その手先に過ぎないのです。しかし、投票という行動によって免罪符を与えているので、横暴が許されてしまう。そして、その横暴に国民は怒っている・・・・
地位が高い人ほど責任が重いのではなく、人が背負える責任は限度がある。要は、重すぎる責任は何人たりとも背負えるものではない・・・というのが真実だと思います。