逆に言えば、結果を問うならやり方を問うな・・・ということだ。


新シリーズ・・・・テーマは「一市民の名言」だ^^


これを多分、誰かが言っていると思うが、自分が知らないから一市民の明言とする^^;


人生とは、やり方・・・すなわち生き方が常に問われるものである。


何故、そうなのかと言えば、人はどうあるべきなのかというよりも、生きている存在そのものに意味があるから、どうなったか・・・という結果を問うても意味はないのである。それよりも、様々な局面で何を考えどう生きたか・・・それがドラマなのである^^


しかし、人間が生きる社会は全くの逆である。問われるのはどうなったのか・・・?という結果なのだ。


その問われる結果に対して常に向き合わなければならないし、挑戦しなければならないのだ。


で、そこに間違いが起こるのである・・・・


結果を問われるのに、やり方に拘るのだ。人生とは全く逆のことをしなければならないのだが、どうしても人生が基準になって同じことをするのである。


何故、結果に拘るのならやり方に拘ってはダメなのか・・・・?


それは、やり方と結果の因果関係を知らないからである・・・・えっ、分かりづらい^^;


では、分かりやすく説明する。


例えば、魚釣りに行くとしよう←この例えもどうかと思うが^^;


今日は、鯛を釣りたい・・・・別にメデタイ日とは関係ないが^^;とする。


最初に考えるのは餌である。当然、鯛が好むものを餌にするということは誰もが分かるはずだ。漁師が一番知っていうだろう・・・概ね海老である。次に、住んでいる場所や餌を食べる時間帯など、様々な要件があるのだ。


そんなの当たり前じゃん^^というだろう。が、それは、多くの失敗によって築かれたノウハウなのである。言い換えれば、鯛を見ただけで、好みを海老と当てられる人はいないのだ^^;


結果として、やり方というものは決まるのだが、事前には何も分からないのである。俺は、鯛をゴカイで釣ってやるというのは勝手だが、それは結果を問えないということなのだ・・・・


人間社会において、この間違いをしている人がたくさんいる。こうやって、分かりやすく^^;説明すると分かると思うが、実際ことに当たると分からないのだ。それは、築かれたノウハウが多い社会ほど陥りやすい落とし穴なのかもしれない。