今時の人は、マニュアル人間だと言われる。
それに対する批判は多い。マニュアル人間は応用が利かない。役に立たない。使えない・・・
揶揄する表現は山ほどある。
が、実は臨機応変というのもマニュアルなのである。それは、パブリックなマニュアルなのではなく、プライベートなマニュアルなのである。
まあ、はっきり言えば、自分で築いたマニュアルということだ。
それをして、自分はマニュアル人間ではないと豪語する姿が、哀れである・・・・
人間、いや、動く生き物、いや、植物、いや、生命全ては、マニュアルによって動かされる。そして、それらから生まれた様々な機械にはマニュアルが存在するわけだ。
要は、パブリックなのかプライベートなのかの違いである。全てを網羅するマニュアルもあるが、特定のものにしか通用しないものもある。
この現実が、人々を混乱に陥れることになるわけである。
犬を育てるマニュアルと猫を育てるマニュアル。同じところもあれば違うところもある。犬と猫という違う種類だから、当然であることは誰もが分かることである。
しかし、人間は見た目が殆ど同じであるから、同じマニュアルで動くと錯覚しやすいのが難点なのだ。そこには、長男もいれば次男もいる。見た目では分からない特徴の違いが五万とあるのである。それは、犬と猫以上の違いを生じていることもある。
その現実が、人々を傷つけるのだ。犬と思って手を差し伸べたら、実は狼で手を噛まれてしまうということが、その原因である。では、それは一体誰に問題があるのか。
狼に責任を負わせるのは無理なのである。だって、意図的におばあさんに化けているわけではないからだ。見た目が変わらないのは本人の責任ではない。それを見抜けない側の責任といって良いだろう。
しかし、見た目が同じ中で、それを見抜けないことを責められてもたまらないと思うだろう。だから、自ら無縁になるのである。
本当は、それを許してくれるのが家族なのだ。何度失敗しても、許してもらえる。そして、その失敗の中で多くを学ぶのである。その学んだことが社会で活きる。この流れを取り戻すことが出来れば、世の中は大きく変わると思っている。