今朝、朝食のときに、初めておじさんがべそをかいた・・・


きっかけは、おじさんの叔母さん(うちの次女、つまり母親の妹←どうでもいいか^^;)が、おじさんが食べているものを頂戴とねだっていたら、おじさんに叩かれたのだ(いや、大人から見たら叩いたように見えたというのが正解だろう)


最近、おじさんは、気前がいい・・・本当に気前が良いのではなく、満腹になると他人に分け与えようとするのだ。それは、まるで神様の様でもある^^


それを知っている叔母さんが、ねだったのだ・・・多分、おじさんは、まだ満腹ではないため、分け与えたくなかったのだろう。それで手を振ったのがたまたま叩いたように見えて、叔母さんは泣きまねをし、一族は責め立てたわけである。


やっぱ、暴力はいけない・・・孫が暴力を振るうようになってはいけないという思いからだ。それを一番気にしているのが母親である。おじさんは、最近、悪いことを少し理解するようになっている。そういうおじさんに、このアホな長女の母親は、「ごめんなさい」の芸を仕込もうと画策している^^;一族で最も謝らない長女がである^^;


一族から責められたおじさんは、泣きべそをかいた・・・・そりゃ、見事に愛くるしい顔であった。最近は、やかましいくらい泣き喚くから、久しぶりに見せた愛くるしさでもあった。そこで、空気は一変し、おじさんは救われた^^


こんな光景は、誰もがいつかは出会う光景かもしれない。ここで、大事なのは、大人からどう見えるかではないと思う。子どもがどう思っているか・・・・つまり、おじさんに今のところ「叩く」という概念は存在していないはずである。


意味が分からないことで叱れる辛さ・・・・これならば誰もが経験しているだろう。我々が、人間社会を生き抜くためには、このことに一番配慮すべきである。こうして受けた傷は、記憶に残るものと、奥底に隠れるものがあるだろう。


恐らく、おじさんは今日のことは覚えていない・・・・が、脳には刻まれたはずである。将来、この傷が暴れだすかもしれない。しかし、そのとき一族は誰もそのことを覚えていないのである。そして、悪いのはおじさんになるのだ・・・・


こういうことは、考えすぎといわれるかもしれない。しかし、そうでなはないという立証は出来ない。我々は、この立証できない不可解と戦い続けなければいけないのである。それは、結構大変だぞ~~