罪を憎んで人を憎まずという言葉がある。


人が犯す過ちを憎むのか、過ちを犯す人を憎むのか・・・人は概ねこの二種類に大別できる。


私は、間違いなく前者である。そして、後者の人間とは話が合わない。


ということが今分かった・・・・


人とは、鏡である。独立した意思のように見えるが、決してそんなことはない。


周りの人間に大きく影響を受け、経験したすべてのことを表現する鏡である。


だから、私はその鏡を壊しても意味がないと思っている。


問題は、鏡に写る映像の背景だ。何がそれを映し出すのか・・・


その理由を突き止め、その問題を解決しないと、同じような鏡は無限に登場するのだ。


臭い匂いは元を断たねば決して消えないのである。


その元とは・・・・一体誰なのか?


実は、その元が「人を憎む発想」を人々に植え付けている。


人が人を憎む社会・・・つまり、人々の関係を壊す社会を作ることが、その元締めにとって最も有益な社会になるわけである。


臭い匂いの元を断たない、いや、立てない社会は、臭い匂いで充満する。そして、いずれその匂いは臭くなくなる。馴染んでしまうのである。そうなると、相当厄介なことになる。


環境を汚す臭い匂いが匂わない・・・つまり、問題が見えない状況に陥るのである。そして、そのことは更に人を憎ませることになる。こうなると、「信じられない」という言葉の連発になり、人が人を信じない社会が誕生するのである。


これが現在の日本である。


問題は、これが人の本性であるのかどうかだ・・・・


自分がそうでないから、人を憎む発想はそうではないと思いたい。


人は動物界では最も劣る生き物である。一人では生きれない生き物である。その事実からして、人を憎む発想は自然ではないと思っている。


1歳の孫を見ていると、人は何も出来ないということが嫌というほどわかるし、それを出来るようになるということも分かる。しかし、人が持つ個性によって、出来ることにはばらつきがある。出来るようになるための時間も違う。


こうした当たり前のことを全て否定するのが学校である。


そこで生まれるのが「こんなことも出来ないのか!!」という軽蔑と怒りである。恐らく、この発想を植えつけられることによって、それは、やがて人を憎む発想へと進化すると思われるのだ。


出来ない人がいれば、出来る人がやれば良い・・・これが、人間社会のルールである。固体の能力に差がある社会のアルゴリズムである。


人は生まれたときはみな同じである・・・善人も悪人もない。言い換えれば、人には善悪はないということだ。つまり、人に善悪を施すのは人であり、その人を操るのが教育である。そして、教育の元締めが支配者である。


人を憎むとは、結局、自らを憎むことへと向かう・・・・人を助ける「愛」とは逆方向なのだ・・・・