私が、何故、道楽社会を提言しているかと言えば、それが自然であると思うからだ。
我々、人間は自然の一部である。ということは多くの人が知っている・・・
自然と共生とか、自然を守るという発想はそういうところから生まれるのだ。
だが、実際は反自然的な生き方をする。
自然とは、例えば、水が高いところから低いところに流れるというアルゴリズムである。
ポテンシャルの高いところでは安定はしない。常に、低いところで安定を図るのだ。
しかし、人間はどうだろう・・・・むしろ逆である。
常に高いところ、ポテンシャルの高いところ向かって上れと言われるのではないか・・・
そうしないとろくな人間にならないと言われるのだ。
えっ・・・・ろくな人間?人間の前につくこの形容詞が曲者である。
人間は、どう生きようと人間である・・・・というのが本当である。
まあ、以前も書いたように「ピノキオ」では、遊んでばかりいたらロバになるのだから、人間とは一体何のだろう?って思う人がいても不思議ではないのである。
上に上がるというのは不安定になるということだ。言い換えれば、自ら不安定=不幸を目指していることになると言えなくもない。
だから、低いところ・・・楽な道、すなわち安定した生き方を目指すべきだと言っている訳だ。神を目指してはいけない。目指すことを悪いと思っているわけではないが、目指す苦しさから、目指さない人を悪だと思うようになるからいけないと断言している。
目指すことを苦と思わない人であれば一向に構わないのである。
しかし、それはある意味、道楽なのである。要は目指す方向に問題があるのではなく、それがもたらす感情に問題が生じるということでもある。
言い換えれば、自分が楽な道を選ぶ・・・・しかし、それは他人から見れば苦に見える可能性はある。楽というのは幸福であるという道だ。こうなれば幸福だではなく、こう歩くことが幸福な道。これが道楽社会の原点であると私は思う。
今、一番問題なのは、人々が苦労しすぎて楽な道を考えられないことかもしれない。そんなものは夢のまた夢だと諦めてしまっていることかもしれない。自然に逆らって生きると、生きる気力が失われるのだ。自然に沿って生きる限り、我々は自由に楽に生きれるのではないだろうか・・・
それが、自然の一部であるという証拠だと思う。