今、娘は親になって、この言葉を嫌というほど味わっている。


昔から、親の心子知らずと言うとおりである。立場が変われば見えないものが見えるということだ。


これに近い言葉で、百聞は一見にしかずというのがある。


しかし、こういう言葉がありながら、頭で考えようとする人が多いのは何故・・・?


官僚や政治家、教師も公務員もみんなそうである。


国家や社会というものは家族から成り立つのだ。


その家族の中で起こる様々な問題が、言い換えれば社会や国家の問題を写しているのである。


まず、そこをキチンと出来ないで、教育や国政を論じても、それは頭で考える無謀である。


事件は会議室で起こっているのではない・・・・現場で起こっているんだ。


という有名な映画の台詞があるが、まさに、全ての事件は家庭で起こるのである。そこから、逃げては何も解決しない。多くは、そこから逃げた者達が、仕事と称して自分達が良いように勝手に片付けているに過ぎない。


まあ、それをやることで給与が貰えて家族が生きていけるという現実があるから仕方ない面もある。


私は、家庭で起こる様々な問題を解決している。逆に言えば、それが自信になっている。


人にとって、最も重要なのは人を育む家族という基本単位だ。ここが壊れると全てが壊れる。


そして、支配者達は、あの手この手で、ここを壊そうとするのである。家族を壊せば、国家に隷属させることが出来る。企業に隷属させることが出来る。


糸の切れた凧は、風によって思いのままに操れる・・・・


そして、今や家族という言葉すら意味を持たなくなりつつある・・・


一体、人はどこで生まれ、どこで育まれるのか・・・・・