昔あって、今一番ないものということを考えたとき、家族という言葉が浮かんだ。


私は、外食が嫌いである。まして、他人と飯などもってのほか・・・普通の人は、よくそういうことが出来ると感心させられる。まずは、味。やっぱ、妻が作る料理が世界一である。更に言えば、知らない人と食べると気を使うからうまくもなんともない。


まあ、要は気使いの小心者であるということだ。もちろん、外食に使うお金がないということも一つの原因であることは言うまでもないが・・・だが、お金があっても良い食材で家で食べるのが一番うまいと思っている。


そうはいいながら、最近、家族そろって家で食事という機会が激減した。昔は、ほぼ毎日であり、難しい話からバカ話まで大いに食卓が盛り上がったものだった。


そういうことから考えると、最大の贅沢は家族なんだと思うのだ。家族とは当たり前のように存在しているようだが、これは奇跡の存在でもある。夫婦の出会い、結婚、交尾に出産である。受精が数億分の一という確率で起こるわけだから、この時点で奇跡中の奇跡であるが、それらが存在し続けないと維持できないわけだ。


自分も含めて、見ている家族は真実であり現実である。が、それは奇跡であるという稀有な要因が作り上げた贅沢なのである。普通にあるものを人は贅沢とは呼ばない。たまにしかないもの、できないものを贅沢と呼ぶ。


高級フランス料理に、高級クラブ、ブランドの衣類にバッグに、各種装飾品などなど・・・・結局は、お金という仮想現実が作り出す世界を贅沢だと思っているわけだ。いや、思い込まされているのだろうか・・・・


それら仮想現実の犠牲になって、家族が壊れているのが現在ではないだろうか。つまり、現実を壊し、仮想現実の世界に自ら進んで入っているのである。いや、逃げ込んでいるといったほうが良いのかもしれない。


それは、現実からゲームの世界に逃げ込むのと同じ理屈であると思う。


果たして、仮想現実の世界は、人類にとって安住の地になるのだろうか・・・・ひょっとしたら、その問いから逃げているのではないのだろうか。


家族は、時として牙を向く。心を引き裂くことがある。しかし、それが現実の痛みである。生きている証である。


この逃げられない現実・・・・これこそが人を現実の世界に留める唯一の希望かもしれないが、これこそが、人を現実から遠ざける要因の一つにもなる。まさに諸刃の剣である。


失って初めて分かる価値・・・・まあ、色々あるが、家族こそ最高の贅沢であることは間違いないと思う。

これを社会の価値基準として考えれば、まるで反対に動くことになるはずだ。